酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6971 吉田松陰・金子重輔先生踏海企の跡(下田柿崎弁天島)

この記事にて、下田特集終了となります。





憂国の志士吉田松陰は、弟子金子重輔と共に柿崎弁天島の祠 ( ほこら ) に身を隠し夜になって、ここ弁天島の浜辺より小舟漕ぎだした。


尊王攘夷の嵐の中で海外の事情を探るべく渡航せんものと必死になって荒波とたたかい米戦艦ポーハタン号に向かいつつある緊迫の場面である。


雄図空しく挫折したが、その国を思う気迫と精神は見る者に深い共感を呼び起こさないではおかない。


時に嘉永 7年 3月 27日の夜 ( 西暦 1854年 4月 24日 ) であった。


吉田松陰先生 下田平滑獄中の記


「 世の人はよしあし事もいはばいへ


         賤が誠は神ぞ知るらん 」


踏海 130年記念 下田氏柿崎行政区


協賛 柿崎観光協会
   下田ライオンズクラブ


鷺島神社 ( 弁天社 ) の入り口には吉田松陰先生の「七生説碑」及び金子重輔先生の追悼碑が有ります。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/121.html

118 吉田松蔭の陰墓(南千住・小塚原回向院)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5005.html

4540 吉田松陰墓(護国山・山口県萩市椿東243‐31)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5073.html

4603 金子重輔墓(萩市北古萩町・保福寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5077.html

4607 金子重輔君絶命之痕(萩市大字今古萩町)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7986.html

6970 吉田松陰踏海の企跡(下田柿崎弁天島)