酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6966 牛乳の碑(下田市柿崎31-6・玉泉寺)

牛乳の碑


農林大臣 河野一郎


安政五年 ( 1858年 ) 二月米国総領事タウンゼントハリスは政務多忙を極め病床にありました。


侍女お吉は ハリスが牛乳を欲するのを知り禁を犯して下田近在から和牛の乳を集めハリスに毎日与えたということです。


その時ハリスが十五日間に飲んだ九合八勺の牛乳の代価が一両三分八十八文之は米三俵分に相当したといいますから当時牛乳が如何に高価で貴重なものであったかが分かります。


このことが日本に於ける牛乳売買の初めといわれます。


爾来百余年牛乳は現在重要な国民栄養食糧として年生産一千余万石に達し酪農事業は重要な国策となりました。


乳業の発達は国富の充実と共に前途益々洋々たるものがあります。


タウンゼント ハリスは、一八〇四年米国ニューヨーク州に生れ


一八五六年来日し一八六二年帰国その間 初代米国総領事として日米親交の基礎を築く一八七九年二月七五才で没した


伊豆は当社創業の地であり且つ下田に工場をもつゆかりの地でありますので下田と牛乳とを記念して


一九六二年五月一七日


森永乳業株式会社
取締役社長 大野 勇建之
(石碑文より)


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7967.html

6953 日本最初の屠殺場(屠牛木)の跡(下田市柿崎31-6・玉泉寺)