酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6952 玉泉寺(下田市柿崎31-6)

史跡 玉泉寺


昭和二十六年 六月 九日 国指定


嘉永七年 ( 安政元年 = 1854 ) 三月、日米和親条約により下田が開港され、続いて五月、下田条約 ( 和親条約追加九か条 ) が結ばれると、ここ玉泉寺は了仙寺とともに米人休息所に指定された。


安政三年 ( 1856 ) 七月、タウンゼント・ハリスが米国総領事として下田に来航した。


しかし、幕府が着任を拒否しようとしたため数日間もめた。


結局、条約の日本語訳に誤りがあったことが分かり、八月五日、日本最初の領事館が玉泉寺に開設され、星条旗が庭高く翻った。


ハリスは、通訳のオランダ人ヒュースケン、召使の中国人と共にここに住んだ。


ハリスの使命は通商条約の締結であったが幕府はなかなか交渉に応じず進展しなかった。


健康を害しながらも辛抱強く交渉にあたったハリスは、安政四年五月二十六日、下田奉行との間に締結した「下田条約」( 米国側に著しく不利であった日米通貨比率の是正、長崎の追加開港など ) を足がかりに安政五年六月十九日、ポーハタン号艦上で日米修好通商条約及び貿易章程の調印に成功した。


米国に続いて日露、日英、日仏通商条約が結ばれた。


通商条約により横浜が開港されると、安政六年五月下田領事館は閉鎖され、ハリスはその使命を終え下田を去った。


なお、境内には米人の墓五基、露人の墓三基が残されている。


昭和五十九年 一月 三十日


下田教育委員会
(案内板より)