酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6912 八幡山 宝福寺(下田市七軒町1・宝福寺)

これからは、下田特集です。



● 八幡山 宝福寺
永禄 2年 ( 1559 ) 権大僧都 了善開基


嘉永 7年 ( 安静元年 - 1854 ) 3月に締結された日米和親条約により下田開港となり、ここ宝福寺は新たに設置された下田奉行・都築駿河守が宿舎とし、仮奉行所となった。


ペリーとの間に結ばれた和親条約付録下田条約交渉の際の日本側全権の打合せ場所ともなった。


ロシア使節プチャーチンが下田に来航し、日露和親条約の交渉の際も応接掛・筒井政憲や川路聖謨等の協議が当寺で行われた。


文久 3年 ( 1863 ) 下田に入港した大鵬丸に乗船していた土佐藩・山内容堂が当寺に宿舎をとり、たまたま順動丸で入港してきた勝海舟が訪れて坂本龍馬の脱藩の罪の許しを請い、認められた。


慶応元年 ( 1865 ) 韮山奉行代官・江川英武の命令で、当寺境内において農兵調練が行われた。


なお、墓地には『下田年中行事』87巻を書き上げた平井平次郎、 ハリスに仕えたお吉の墓がある。


また、安静の東海地震 ( 1854 ) 後の津浪は本堂床上まで達した。


下田市
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/347.html
334 坂本龍馬墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/374.html
360 山内容堂墓(品川区東大井4-8)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5647.html
5120 勝海舟翁之像(墨田区本所4-6・能勢妙見山別院)

https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7356.html

6420 江川英龍(太郎左衛門)墓(台東区寿2-9-7・本法寺)


 坂本龍馬像でしょうか?