酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6919 鶴松墓(下田市七軒町1・稲田寺)

鶴松 ( 唐人お吉の同棲相手 ) は今この墓地に静かに眠っている。


納骨瓶には「純譽敬法信士俗名大工川井又五郎明治九年六月六日歿」と誌されている。


幕末開国の舞台に一輪の花と咲いた”唐人お吉”の陰に隠れて鶴松の一生は余りにも哀れであった。


領事ハリスの侍妾として仕えたお吉と後年、旧情を温め仲むつまじく同棲したのも束の間の四年ほどであった。


明治八年、故あって離婚すると翌年には一夜ポックリと ( 今でいう心臓麻痺 ) 敢えなく急死した。


生前の鶴松は性格温順で酒を飲まず煙草もすわず器用な船大工職であったという。


山桃 ( やまもも ) が好きだったので、お吉は鶴松の死後泣きながらこの墓前に鶴松好物の山桃を供えて、その冥福を祈っていたという。


鶴松の死後、弟の熊吉が相続したが、戸籍上では妻子がなく甥の啓蔵が相続届を出したが啓蔵で鶴松の血統は絶えたことになっている。


今は遠縁にあたる太田家 ( 下田市原町 ) で供養しているが鶴松も又、お吉と共に幕末開国の為の果無い犠牲者の一人であった。          


昭和 50年 3月 30日 
(説明版より)


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7930.html

6918 お吉塚(下田市七軒町3・了仙寺)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7923.html

6920 斎藤きち・鶴吉墓(下田市七軒町1・宝福寺)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7922.html
6921 斎藤きち墓(下田市七軒町1・宝福寺)