酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6911 発句也松尾桃青宿の春(日本橋・鮒左ビル)

● 発句也松尾桃青宿の春
松尾芭蕉は、寛文 12年 ( 1672 ) 29歳の時、故郷伊賀上野から江戸に出た。


以後延宝 8年 ( 1680 ) 37歳までの 8年間、ここ小田原町 ( 現室町 1丁目 ) の小沢太郎兵衛 ( 大舟町名主、芭蕉門人、俳号卜尺 ) の借家に住んだことが、尾張鳴海の庄屋下里知足の書いた俳人住所録によって知られる。


当時「桃青」と称していた芭蕉は、日本橋魚市場に間近な繁華の地に住みつつ俳壇における地歩を固め、延宝 6年には俳諧宗匠として独立した。


その翌年 ( 延宝 7年 ) 正月、宗匠としての迎春の心意気を高らかに詠み上げたのがこの碑の句である。碑面の文字は、下里知足の自筆から模刻した。


日本橋を北に渡った東側に魚市場があった。河岸には魚を満載した舟が漕ぎ寄せられ、早朝から威勢のいい掛け声で賑わった。芭蕉は魚市場の喧騒を耳にしながら暮らしていたのである。
(句碑碑文より)