酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6910 八代目・山田浅右衛門吉豊墓(豊島区池袋3-1-6・祥雲寺)

山田吉豊 ( よしとよ )
天保 10年 - 明治 15年 ( 1839 - 1882 )


明治になって浅雄とも名乗った。俳号は亀宝館柊哉。


七代目と六代目の養女・幸の間の子。


明治三年 ( 1870 ) 4月 15日の「弁官達」で刑死者の試し斬り及び人胆等の採取が禁じられ(「従前刑余ノ骸ヲ以テ刀剣ノ利鈍ヲ試来候。右ハ残酷ノ事ニ候間厳禁取締可致。其他人胆或ハ霊天蓋陰茎等密売致ス哉ニ候(中略)是又厳禁取締可致候事」)、ために山田家は試し斬りと製薬業のいずれもが行えなくなった。


八代目は「東京府囚獄掛斬役」すなわち首斬り役として出仕。


明治五年のいわゆる壬申戸籍には「平民」と明記されている。


明治 7年 2月 12日に斬役の職務を解かれ、明治 12年 10月 16日に隠居。


明治 15年 8月 13日に父 ( 七代目 ) に先立って死亡。享年 44歳。


戒名 : 性善院秀様吉豊居士。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/116.html
113 高橋お伝墓(南千住・小塚原回向院)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/318.html
305 大久保利通暗殺刑死者(台東区・谷中霊園)