酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6863 江木欣々墓(台東区・谷中霊園)

江木 欣々(えぎ きんきん、1877年(明治10年)1月30日 - 1930年(昭和5年)2月20日)は、明治期の法律学者・江木衷の妻。


本名は栄子。号を欣々、または欣々栄と称した。生年は1879年(明治12年)説(墓誌)がある。父は関新平、母は藤谷花(花子とも。麹町の袋物屋「大和屋」の娘)。異父弟にシャープ創業者の早川徳次、異母妹に、ませ子がいる。

九条武子、柳原白蓮と並んで大正三美人と称された。

愛媛県令だった関が女中の藤谷に手を付け栄子が生れた。栄子は養女に出されたが、養家が困窮したため、神田明神下の講武所の花街で半玉となった。

栄子は16歳で九州の細川家の家老職、有吉男爵に落籍され正妻となった。しかし夫は1年あまりで病没。栄子は有吉家を出されて再び花柳界に戻った。今度は新橋に移り、松屋から「ぼたん」という名でふたたび半玉として出ることになった。

栄子は新橋の美貌芸者として名をはせ、間もなく衷と結婚した。自宅で関係者を集めてパーティを開き、そこが自ずから社交場となった。栄子は詩、書、画、篆刻、謡曲と広い趣味と才人ぶりを見せて花形となった。

1925年(大正14年)に夫と死別。1930年(昭和5年)、大阪の早川の家で首吊り自殺した。

美人画家の鏑木清方の傑作「築地明石町」のモデルとして知られる(実はモデルは栄子の異母妹のませ子ともいわれる)。

参考文献
・『近現代日本女性人名事典』(ドメス出版)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/365.html

351 九条武子夫人歌碑(中央区築地3・築地本願寺)