酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6859 北野神社・中島歌子歌碑(文京区春日1-5-2・北野神社)

野神社 は、江戸時代金杉天神、俗に牛天神 と呼ばれた。御祭神は、菅原道真公である。


縁起によると、寿永元年(一一八二)源頼朝 が東国経営のとき台地下の老松に舟をつなぎ、風波のしずまるのを待った。夢中に菅神(道真公)が現れて、二つの吉事があると伝えた。お告げの通り男子(頼家)が生まれ、平家を西海に追うことができた。頼朝は大いに喜び、元暦元年(一一八四)ここに社殿を造営したという。また、夢さめて菅神の立っていた跡に、牛の形をした石(牛石という)があった。(現在は社殿の前にある)


境内の南側に、中島歌子(一八四四~一九〇三)の歌碑がある。歌子はすぐ近くの安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主である。


門下には、梨本宮妃、鍋島侯夫人や前田侯夫人など、上流中流層の婦人一、〇〇〇余人がいた。樋口一葉、三宅花圃 らはその門弟である。


歌碑は歌子の死後、明治四二年(一九〇九)門下生によって建てられた。


雪中竹
ゆきのうちに 根ざしかためて若竹の
 生ひ出むとしの光をぞ 思ふ
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/671.html
631 中島歌子墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1145.html
1057 加藤千蔭墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1162.html
1073 三宅花圃墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6340.html
5503 中島 庸墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6654.html
5746 田中みの子墓(谷中4・永久寺)