酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6847 真田幸民墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

真田 幸民(さなだ ゆきもと、嘉永3年4月17日(1850年5月28日)- 明治36年(1903年)9月8日)は、信濃松代藩の第10代(最後)の藩主。


伊予宇和島藩主・伊達宗城の長男。正室は大村純熈の次女・隆子。継室は伊東祐相の娘、島津久光の養女(竹内治則の娘)。官位は従二位、信濃守。子は真田幸正(長男)、真田幸久(次男)、清棲幸保(三男)、松子(島津忠麿正室)、田鶴子(大村純英正室)、信子(藤堂高紹正室)など。


生涯
幼名は保麿。先代藩主・真田幸教の養嗣子となり、慶応2年(1866年)3月9日に幸教が隠居したため、その跡を継ぐ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に与して、甲府警備や北越戦争、会津戦争への出兵で重要な戦功を挙げた。これにより新政府から賞典禄3万石を加増された。明治2年(1869年)、版籍奉還により藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官される。


明治5年(1872年)4月から渡欧して、各国を視察した。明治17年(1884年)に子爵、明治24年(1891年)に伯爵となった。明治36年(1903年)9月8日、東京で死去した。享年54。墓所は東京都港区の青山墓地。長野市松代の長国寺。


系譜
・実父:伊達宗城
・養父:真田幸教
・正室:隆子(大村純熈の次女)
・継室:伊東祐相の娘
・継室:島津久光の養女(竹内治則の娘) 真田幸正
・真田幸久
・清棲幸保(清棲家教養子)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5265.html

4777 伊達宗城墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)