酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6819 二代目・玉川勝太郎墓(台東区・寛永寺墓地)

二代目玉川勝太郎(1896年5月1日 - 1969年8月13日)本名は石渡金久。


東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)の生まれ。


浪曲好きの父の影響で、17歳で初代に入門し玉川次郎、兄弟子の玉川太郎(のちの小金井太郎)とともに「玉川の両翼」と称される。


一時「玉川教風」[1]を名乗り、1932年に2代目勝太郎を襲名。


師匠譲りの関東節任侠物を磨き上げ、『清水次郎長伝』『国定忠治』などを十八番にした。


中でも『天保水滸伝』(正岡容作)の外題付け「♪ 利根の川風、袂に入れて…」の名調子は、レコードに吹き込まれて一世を風靡した。その長く尾をひいて歌う哀調の節は、勝太郎が自宅で飼っていたローラーカナリアの鳴き声にヒントを得て作られたものである[2][3]。


1964年に娘婿の福太郎に勝太郎を譲って「玉川勝翁」を名乗り、新作にも挑戦した。極度の近視、かつ巨躯で、数々の逸話がある。1969年に脳軟化症で死去。


主な弟子
・2代目玉川次郎
・玉川良一
・玉川桃太郎
・三代目玉川勝太郎
(wikiより)


 墓の隣りに元総理大臣の田中角栄書の「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」の碑がある。


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7835.html

6820 三代目・玉川勝太郎墓(台東区・寛永寺墓地)


 二代目・玉川勝太郎