酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6813 徳川 誠墓(台東区谷中・谷中霊園)

德川 誠(とくがわ まこと、1887年(明治20年)10月31日 - 1968年(昭和43年)11月11日)は、日本の実業家、政治家。


爵位は男爵。新字体で徳川 誠(とくがわ まこと)とも表記される。


浅野セメント株式会社監査役、貴族院議員などを歴任した。


来歴
生い立ち
江戸幕府第15代征夷大将軍徳川慶喜の九男。いったん山本重礼の養子となったが、のちに離籍し実家に戻る。さらに分家して一家の戸主となった。学習院高等科を卒業。1908年(明治41年)、アメリカ合衆国に留学。


実業家として
米国から帰国すると、横浜正金銀行に勤務した。その後、浅野セメント監査役も務めた。大正2年(1913年)11月5日、男爵に叙される。昭和21年(1946年)5月、貴族院男爵議員補欠選挙にて貴族院議員に選出された。貴族院では公正会に所属し、昭和22年(1947年)5月まで務めた。


栄典
・1926年(大正15年)12月1日 - 従四位[1]
・1934年(昭和9年)12月15日 - 正四位[2]


系譜
・父: 徳川慶喜(江戸幕府第15代将軍)
・母: 中根幸(中根芳三郎の娘)
・妻: 霽子(男爵名和長慶)の娘)
・長男: 徳川熙 - 海軍少佐、太平洋戦争で戦死。
・次男: 徳川脩(1920年 - 1996年) - 日本銀行勤務。
・孫: 徳川康久(やすひさ、1948年 - ) - 脩の長男。2013年より靖国神社の宮司。


脚注
1. 『官報』第4289号、「叙任及辞令」1926年12月09日。
2. 『官報』第2394号、「叙任及辞令」1934年12月22日。


参考文献
・帝国秘密探偵社『大衆人事録 東京篇』(第13版)、1939年


関連項目
・横浜正金銀行
・太平洋セメント
(wikiより)