酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6805 見延山への道標(清水区興津清見寺町418-1・清見寺)

● 見延山への道標
これは、耀海寺の末寺、石塔寺にあったものです。


ここから国道を東へ約 1km、東海道と見延道との分岐点にあり、見延道入口の目印でした。


この地には、日蓮大聖人から帝都弘通を任された日像上人・江戸時代の名僧深草の元政上人の足跡が残されています。


この道標は、大阪の俳人安井 ( 大伴 ) 大江丸が享和元年 ( 1801 ) に建立した、自筆のものです。


大江丸は与謝蕪村と親交があり、小林一茶に影響を与えた人です。


また、町飛脚問屋の主人でもあり、大阪め江戸間の道中の安全を祈願し寄進しました。


石塔寺は明治 7年 ( 1874 ) に廃寺となり、本寺の耀海寺に統合されました。


明治 13年 ( 1880 ) の中宿 ( 現 興津中町 ) の大火で、この道標も高熱のため折損してしまいました。


縁者により耀海寺に移され、上部は境内に保存されました。


しかし、下部は長い間不明となっていました。


平成 17年 ( 2005 ) 永代供養墓建設の際、発掘され復元されました。


( 右面 )
これより御山へのぼる事十三里 ( ? )
ふじ川ばた いわぶちへ出るみち ( ? )


( 正面 )
ミ ( み ) のぶさんけ ( い ? )


( 裏面 )
享和元年辛酉十月十三日建立
        八十三翁 大江丸拝書


( 左面 )
江戸 嶋谷       江戸 松井利兵衛
京都 大黒屋庄治郎   主願 万屋宗八
大阪 津國屋十右衛門
(案内板より)