酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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6787 侠客仙右エ門墓(静岡市清水区南岡町3-8・梅蔭禅寺)

本名 : 宮下仙右エ門


駿州増川の産


明治 25年 8月 6日死亡 57歳。


● 増川仙右衛門 ( ますかわ - せいえもん )  
梅蔭寺の次郎長の墓とならんでいる子分の墓は、大政、小政、仙右衛門の 3人。3人とも名前の上に侠客とつけられ、お揃いの大きさの伊豆石で建てられているが、もともとは四角だったはずの墓石は、ぼろぼろに欠けて丸くなってしまっている。


長い年月の間に自然に崩落した部分もあるが、ほとんどは人為的に欠かれたためである。


欠いた墓石を持っていると勝負事につくというので、ギャンブラーたちが欠いていく。そのために丸くなってしまったのだが、中でも、仙右衛門の墓が一番効くと、ギャンブラーたちの間では言われてきたらしい。
 
なぜかはわからないが、武勇談には事欠かない大政や小政にくらべて、仙右衛門の方は地味だ。その代わり仙右衛門は計数に明るかった。ルーレットでいえばディーラーのように、サイコロ賭博のキーパーソンは中盆と呼ばれる。大勢の張り方の当たりはずれを、頭の中で瞬時に集計して配当をつける。それを手際よくやるには、並はずれた計算能力を要求される。駄目な中盆は「盆暗 ( ぼんくら )」だ。仙右衛門は、つまり反対の「盆明 ( ぼんあか )」だったのである。大きな賭場が立つかどうかは、誰が中盆をつとめるかによるらしい。


仙右衛門は出身地を名前の頭につけて増川の仙右衛門と呼ばれる。増川はかつての富士郡須津村の内、今は富士市内の地名である。


天保 7年 ( 1836年 )、宮下佐次郎の長男に生まれた。父佐次郎は、戸籍の記載には「駿河国富士郡増川村百姓」( 勝瀬光安遺稿より ) とある。田畑持ちであると同時に、ばくち打ちの貸元、つまり土地の親分であった。
 
仙右衛門が 36歳の時、縄張争いのことから、父佐次郎が、伊豆の金平親分の子分、竹之助、民五郎、力松、亀吉ら 17人に襲われ、殺害された。
 
金平というのは、「東海遊侠伝」にも登場する人物で、石松をだまし討ちした吉兵衛の味方、つまり次郎長の敵であり、沼津から船に乗って清水を襲撃しようとしたことがある。この時は次郎長に一喝されて逃げ帰っている。
 
父親を金平一党に殺されたとき、仙右衛門は、伊豆の子浦にいたが悲報を聞いて増川村に帰った。仙右衛門は決して腕の立たない男ではない。
 
伝えるところによると、清水一家の中でも指折り数えられる一刀流の使い手という。
 
同じ増川村に松下又右衛門という韮山代官の下役をつとめる人物が道場を開いていたので、そこに通って腕を磨いた。この一刀流修行のことと、佐次郎の子分、辻勝こと今泉の勝五郎とともに、父の仇を討つことは、今では稀覯本 ( きこうぼん ) となっている「実説次郎長物語」( 河原井喜久雄・昭和 14年刊 ) に記されている。
 
この本は、日中戦争のさなか、最前線で戦う兵士に慰問袋へ入れて送るため、「勝運のお守」といっしょに作成されたものである。次郎長の武勇談というものが、前線の兵士の士気を鼓舞するのに役立つとみられていたのだろうか。
 
ところで、仙右衛門は父の仇を討つため、次郎長に加勢をたのみ、竹之助らを討ちとって首尾よく念願を晴らした。
 
これを機に次郎長の子分となって清水に移り住む。明治の戸籍簿には、「清水湊美濃輪町六十弐番屋敷当町坪井徳太郎所持地」と住所が記されている。そこは巴川西岸の松井町にあり、住居跡は釣舟店、裏手の溝を地元では「仙右衛門どぶ」と呼んでいる。
 
仙右衛門は次郎長より 1年早く、明治 25年 8月 6日、57歳で没し、日蓮宗妙慶寺に葬られた。法名の「清心院信敬日玄居士」の居士号は、岩渕町の田辺幸蔵、その女婿、鈴木幸太郎による追贈である。


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7795.html

6788 山田房五郎墓(静岡市清水区江尻町8-7・法雲寺)


 宮下仙右エ門