酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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6776 小政墓(静岡市清水区南岡町3-8・梅蔭禅寺)

小政(こまさ)[1][2][3][4][5][6]、村上元三の小説『次郎長三国志』に淸水の小政(しみずのこまさ)として登場する山本 政五郎(やまもと まさごろう、天保12年12月 / グレゴリオ暦 1842年1月 - 1874年5月29日)は、かつて実在した日本の侠客である[1][3][5]。


清水次郎長配下の「清水二十八人衆」に数えられ[6]、同じく次郎長配下で同姓同名の「山本政五郎」を名乗る大政(1832年 - 1881年)[7]と区別して「小政」と呼ばれる[1][3][5]。本名は吉川 冬吉(よしかわ ふゆきち)[3][4][5]。


物・来歴
天保12年12月、現行のグレゴリオ暦によれば1842年1月、遠江国敷知郡浜松宿新町(現在の静岡県浜松市中区中央)の魚屋・吉川由蔵の次男、冬吉として生まれる[3][5]。桶屋の長男であるともいうが[4]、のちに判決を申し渡された際の「所刑申渡文」(1871年)には小政には、家督を継ぐ兄・由五郎があることが示されている[4]。今川徳三は、「天保14年」(1843年)生まれとも言われているといい、生年は定かではないとしている[3]。


笹川臨風は「遠州濱松の魚問屋の息で、十一歳の時から次郎長に養はれた」と書く[1]。『はままつ百話』(静岡新聞社)は、小政が清水次郎長(本名・山本長五郎、1820年 - 1893年)に初めて会ったのは嘉永四年(1851年)の春であるとし、そのときの小政は、浜松宿を出て東海道を西へ行った八丁畷(現在の浜松市中区森田町)で行商していたとする[4]。このとき小政は満9歳になったばかりであり、数え年は10歳であるが、「その後、次郎長の身内となり、大いに売り出した」としている[4]。養子になったときの名が山本 政五郎であるとされるが、野田宇太郎はこれを山本 音五郎(やまもと おとごろう)であるとする[2]。今川徳三によれば、山本鉄眉(のちの天田愚庵)が次郎長本人に生前取材した『東海遊侠伝』(1884年)に「小政」の名が初めて登場するのは、文久3年12月(1864年1月)、黒駒勝蔵との天竜川での対陣のくだりである[3][8]。講談・浪曲の世界では「大政・小政」と並び称せられるが、史実においては、小政が清水港に滞在した期間は極めて短い[3]。笹川によれば、大政が「六尺以上」(約181センチメートル)の大男であったのに対し、小政は成人しても身長が「僅々四尺八寸」(約145センチメートル)の低身長であったとし、「居合術に熟達し、三尺餘の刀を常に用ふ。敏捷精桿無比といはれた」とその特徴を描写する[1]。


1865年(慶応元年)、遠江国佐野郡掛川宿(現在の静岡県掛川市)でお加登(1847年 - 1921年)と結婚したが、同地で傷害事件を起こして逃亡している[3][5]。6年間の逃亡生活を経て、明治維新後の1871年(明治4年)、清水に戻ったが[3][5]、同年に行われた荒神山手打式後の清水一家の集合写真には写っていない。1873年(明治6年)には、旧刑法成立以前の雑犯律賭博条により逮捕され、同年2月7日、准流刑5年の判決を受けて入獄した[3][4][5]。この際の「所刑申渡文」に小政の存在を定義するにあたり「遠江国敷知郡浜松宿新町 雑業由五郎弟政五郎事吉川冬吉」と記してあり、同時点では、小政は山本姓ではないが「政五郎」と名のっており、本名は「吉川冬吉」であることが示されている[4]。


1874年(明治7年)5月29日、浜松県敷知郡浜松宿高町(現在の静岡県浜松市中区元城町)の浜松監獄(現在の静岡刑務所浜松拘置支所、1918年移転)[9]で獄中死去した[1][2][3][4][5]。満32歳没。国領屋こと大谷亀吉(1832年 - 1905年)の妻が小政の遺体を引き取り、曹洞宗真道山大聖寺(現在の同市中区板屋町208番地[10]、のちに現在の同区幸に移転)に墓を建てたという[11]。戒名は「白浪良満信士」[3]。今川は死因に関しても諸説あるとし、獄中での病死説と毒殺説があり、死去したのも同年4月に出所したあとに敷知郡東鴨江村(現在の浜松市中区鴨江)に刀剣商・川瀬某の所有する長屋を借りて住んでいたところ、病死した説と殴り込みに遭って殺された説があるという[3]。野田は、小政は獄死であり「享年四十二」であると書いている[2]。『はままつ百話』は、大聖寺の過去帳に「享年三十二年六力月」と記されていると指摘する[4]。同寺には、1945年(昭和20年)の浜松空襲までは、小政の遺品として「長脇差」とともに小政が獄中で制作した「こよりの紙入れ」が遺されていたが、同寺本堂とともに焼失した[4]。


妻のお加登は、小政の没後、1歳下の大庭平太郎(1848年 - 1910年)と再婚した[3]。次郎長が死去したのは、小政の没後19年後の1893年(明治26年)6月12日、満73歳であった[12]。次郎長の墓は、臨済宗妙心寺派梅蔭禅寺にあるが、ここに次郎長夫人のお蝶、大政、増川仙右衛門(1836年 - 1892年)とともに、もうひとつの小政の墓もあり、墓碑銘は「侠客小政墓」である[13]。


 荒神山手打式の集合写真(明治4年)には写っていない。後列左から4人目が大政。



フィクションの人物像
史実において「清水二十八人衆」であった時代の小政は、前述の通り、満22歳前後の一時期、その後、お加登との掛川時代と逃亡期をはさんで満29歳 - 満31歳の時期に当たる[3][5]。そもそも「清水二十八人衆」には架空の人物も数えられており、浪曲師の三代目神田伯山(1872年 - 1932年)の創作であるとされる[14]。


1938年(昭和13年)3月に発売されたディック・ミネの流行歌『旅姿三人男』(作詞宮本旅人、1907年 - 1982年[15])に、大政・森の石松とともに「三人男」として登場、「粋な小政」と謳われる[16]。同曲は、1962年(昭和37年)1月にシングルレコードを発売した石原裕次郎のほか、1971年(昭和46年)に放映開始したテレビ映画『清水次郎長』の主題歌として、次郎長を演じた竹脇無我もカヴァー、シングルを発表した[17]。


マキノ雅弘の代表作とされる映画『次郎長三国志』(東宝、1952年 - 1954年)、『次郎長三国志』(東映、1963年 - 1965年)の2つのシリーズでは[18][19]、それぞれ水島道太郎、里見浩太朗が演じている[19]。それぞれのシリーズでも小政の登場は、東宝版では「浜松の政五郎」という役名で『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』(1954年)、そして「小政」になってからの『次郎長三国志 第九部 荒神山』(1954年)の2作のみ、東映版では『次郎長三国志 第三部』(1964年)と『次郎長三国志 甲州路殴り込み』(1965年)の2作のみである[19]。東宝版では、森の石松が都田村の吉兵衛(1828年 - 1861年)にだまし討ちに遭い、偶然知り合った「浜松の政五郎」(小政)に看取られて死に、それが縁で政五郎は清水一家に加わるという筋である[20]。映画『次郎長三国志』は、村上元三の同名の小説を原作にしており、第1章『桶屋の鬼吉』に始まり、『東海遊侠伝』を書いた天田愚庵(1854年 - 1904年)を描く第22章『天田五郞』、講談『名も高き富士の山本』を創作した三代目神田伯山を描く第23章『神田伯山』で終わる、全23章で構成される同作において、小政を描く『淸水の小政』は第18章に当たる[21]。


「酒飲みねえ、すし食いねえ、江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」で知られる二代目広沢虎造の浪曲『石松三十石船道中』の原型は、三代目神田伯山の創作である[22]。江戸っ子が石松に対し、清水一家で一番強いのは「大政、小政、大瀬半五郎、増川仙右衛門、法印大五郎、追分三五郎…」と挙げていくなかで、小政はまず冒頭に大政と対になって登場する。16人挙げたところで、大瀬の次に石松を失念していたことを忘れていたことを思い出す、という筋である。このくだりのあった時期は、設定では「文久2年の3月半ば」、つまりグレゴリオ暦では1862年4月13日前後に当たり、小政は満20歳、次郎長一家に在籍したかどうかは定かではない時期である[3][5]。


マキノ雅弘の甥にあたる俳優の津川雅彦が「マキノ雅彦」の名で監督した『次郎長三国志』(2008年)では、同じ村上元三の同名小説を原作にしながら、追分の三五郎と小政を複合して「追分の政五郎」というキャラクターに改変、北村一輝を配して「伊達者の美青年」であるとした[19][23]。


浅田次郎の小説『天切り松 闇がたり』シリーズでは、第二巻『残侠』において大正11年の東京に現れた、老侠客として登場する。主人公一家に一宿一飯の義理を果たして鳥越神社の神前で荒事に及ぶが、その素性は最後まで詳らかでない。


詳しい事は、「小政ウィキペディア」をご覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%94%BF
(wikiより)


 小政