酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6735 谷川辰吉墓(京都市左京区黒谷町121・金戒光明寺)

備中国倉敷出身。

平隊士。


谷川辰造・谷川辰吉とも。本名は和栗吉次郎、改名は井汲恭平。


商屋・和栗仁左衛門の三男で、母はユキ。


元冶 2年 ( 1865 ) 春、京坂に志士として入り、潜伏先は松屋町のぜんざい屋・石蔵屋政右衛門方で、ぜんざい屋の主人の正体は、元武者小路家の家来・本多大内蔵。


ここには、土佐藩の大利鼎吉や那須盛馬らが潜伏していた。


土佐脱藩の長州びいきの志士らが、長州征伐にあたる幕府軍の混乱を引き起こすため、大坂城に火を放つという計画をしていた。


その過激さについてゆけなかった谷川は、顔見知りの谷三十郎とたまたま出会い、大坂焼き討ちの計画を打ち明け、ぜんざい屋事件が起こる。


その功績が認められ、新選組に入隊。


慶応 3年 ( 1867 ) 12月に大坂で脱走。


その後、阿部十郎を頼り、徴兵七番隊として奥州まで転戦。


● ぜんざい屋事件
ぜんざい屋事件(ぜんざいやじけん)は、土佐勤王党の残党による大坂城乗っとり計画を察知した新選組による浪士襲撃事件である。


慶応元年1月8日(1865年2月3日)、故郷の藩を脱藩してきた土佐浪士達は進退に極まり大坂に隠れ潜んだ。


土佐勤王党の残党大利鼎吉、田中光顕、大橋慎三、池田応輔、大坂南瓦町にぜんざい屋を構える石蔵屋政右衛門(本多内蔵助)らは、大坂市街に火を放ち、其の混乱に乗じて大坂城を乗っとるという計画を立てた。


新選組大坂屯所隊長・谷万太郎は友人の谷川辰吉から土佐浪士の不審情報を得ると、兄の谷三十郎、正木直太郎、阿部十郎を呼んでぜんざい屋を襲撃した。京都の新選組本隊には事後的に伝えた。


4人はぜんざい屋を襲撃するが土佐勤王党はほとんど外出中で、石蔵屋と大利しかいなかった。谷万太郎が石蔵屋を斬りつけるが逃げてしまったので、4人掛かりで2階にいた大利に斬りつけ討ち取った。他の者は襲撃を知ると姿をくらました。新選組本隊もこれを聞いて京都から出動し大坂を探索したが、土佐勤王党の残党は大和方面などに逃亡した。


関連事項
・四ツ塚様


事件を扱った作品
・司馬遼太郎『浪華城焼打』(短編集「幕末」収録)
(wikiより)