酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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709 井上蘭台(蘭臺)墓(台東区・谷中霊園)

井上 蘭台(いのうえ らんだい宝永2年1月1日[1]1705年1月25日) - 宝暦11年11月27日1761年12月22日))は江戸時代中期の儒学者戯作者である。備前岡山藩に仕える。江戸生れ。


を通煕、は子叔もしくは叔。子字に鍋助、縫殿、さらに嘉膳とした。通称嘉膳。最初、璠菴、玩菴とし、のちに蘭台とするが、本多忠統侯がこの号を用いたことに配慮して図南と号するようになる。忠統侯が歿すると蘭台の号に復した。また戯作のときは玩世教主と称した。


生涯
幕府侍医 井上玄存の三男として江戸本郷(現 東京都文京区)に生まれる。[2]


蘭台は21歳のとき、信州鬼越村の天野曾原に入門したが一年で辞して23歳で昌平黌に入学。林鳳岡の弟子となっている。25歳で林家員長に任ぜられ、命じられて『馴象俗談』を著している。36歳で備前岡山の文学として招聘され、数年後に侍講となった。終生のほとんどを江戸で過ごしたが、44歳の時に朝鮮通信使一行が岡山を通過するに際して地元で7ヶ月間滞在し、通信使の接遇などをして活躍した。俸禄200石、物頭に出世している。56歳、築地の自邸(現 東京都中央区築地一丁目付近)にて歿する。法号 自然居士。墓は目白落合村の泰雲寺にあったが移葬され現在は谷中霊園(台東区谷中1丁目)にある。同門の秋山玉山が死を悼み漢詩を捧げている。


高弟の井上金峨が伝えるところ、蘭台は食事の前にまず一笑いすることを日課としていた。ときに周りの一座の笑いが止まらないほどになることもあったようである。蘭台の快活な人柄を伝える逸話であるが、反面、生涯にわたり女性を遠ざけて妻帯せず、僧のようにストイックな生活であった。だからといって自分の価値観を他者に押し付けるような事は決してせず常に鷹揚だったという。実子はなく死の間際に武蔵の戸口氏より養子 井上四明を迎えた。


学風
蘭台は自由な学風を好んだ。「はじめから才能を宿しているのだから他者の学説に頼りすぎて自分を失う事があってはならない。自分の好むところに従ってその長所を伸ばすべきである」として、弟子の個性を尊重した。門弟とあたかも友人のように接して少しも驕ることがなかった。なぜならば、「ひたすらに孔子の道を究めるのであるから、儒者であるためには孔子をもって師とすべきであり、他に子弟関係があろうはずがない」とし、また、「道を同じにするのであるからすなわち朋友であり、単に年長者としてその手助けをするのみである」として、終生その信条を貫いた。


このような自由な学風であったから門下には多くの個性的な俊英が育ち、その後華々しい活躍をしている。


主な門弟

関松窓 林家員長
井上金峨 折衷学の大成者
渋井太室 佐倉藩儒官
沢田東江 人気書家・戯作者
井上四明 義子・岡山藩儒官


学問
蘭台は折衷学の鼻祖とされる。林鳳岡門下でありながら朱子学には批判的であり、荻生徂徠古文辞学)や伊藤仁斎古義学)についても批判した。ただひたすら仲尼(孔子)の道を信じ仲尼の学を追究しつづけた。おのずと宋学ではなくそれ以前の古学的な方法に近づき、その結果、徂徠や仁斎によく似た学となった。



古文辞派の詩風を是としながらも、いたずらに格調を求めず、平明な詩作を行っている。


戯作
蘭台は謹厳な学者だったが、諧謔の精神も持ち合わせ、その才を戯作に発揮している。玩世教主の名で発表した『唐詩笑』と『小説白藤伝』である。ともに金峩道人こと、井上金峨と共同で書いている。『唐詩笑』は明の李攀竜による代の詩選集『唐詩選』のパロディ版とも呼べるもので詩編に猥雑な文章を自在に組み入れて笑いを演出している。『小説白藤伝』は中国俗語文で書かれており、荻生徂徠・太宰春台を思わせる人物を登場させている。これらに触発され、門弟の沢田東江も戯作を発表している。


詳しい事は『ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E8%98%AD%E5%8F%B0
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1191.html

1099 井上毅斎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2946.html
2665 「夜寉井(やかくい)銘」の碑(墨田区吾妻橋2・妙縁寺)


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5321 井上四明墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


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5322 井上呆斎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


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4950 太宰春台墓(台東区谷中1-2-14・天眼寺)