酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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3代目ボンド ムーアさん死去

映画『007』シリーズで3代目ジェームズ・ボンドを演じた俳優のロジャー・ムーアさんが、がんのためスイスで亡くなったと、23日、ムーアさんの家族が公式Twitterに掲載した声明で発表した。89歳だった。


● ロジャー・ムーア
サー・ロジャー・ジョージ・ムーア(Sir Roger George Moore KBE 、1927年10月14日 - 2017年5月23日 )は、イギリス出身の俳優。1973年から1985年の間に、イギリスの大人気スパイ映画『007』シリーズで、7作にわたってジェームズ・ボンドを演じた(これは2016年現在、歴代最多である)。身長は185cm。


人物
ロンドンのストックウェルで警察官の息子として生まれる。バッキンガムシャー、アマーシャムのドクター・シャロナーズ・グラマースクールに入学。1940年代に映画にエキストラ出演した後に軍隊に入隊し、第二次世界大戦中はイギリス軍の娯楽部隊に所属した。


除隊後に再び大部屋俳優になり、モデルやテレビのステージ・マネージャーなどの職業も経験した。1950年代に入ってアメリカに渡り、テレビドラマに出演する下積み生活が続いた。1954年、MGM映画『雨の朝巴里に死す』に出演、同年MGMの契約俳優となる。
1962年、テレビシリーズ『セイント 天国野郎』に主演してスターの地位を得る。1971年からの『ダンディ2 華麗な冒険』などのテレビシリーズでも活躍した。


日本では7代目トヨタ・コロナ(T140系、最後のFRコロナ)のCMキャラクターを務めたことでも知られている。ムーアはCMや広告に登場したばかりではなく7代目コロナのカタログにも登場している。また、複数回来日している


俳優として活躍する一方、ユニセフ親善大使(オードリー・ヘプバーンに勧められたという)[1]などボランティア活動にも精力的で、2003年にはナイトの称号を与えられた。同年にはブロードウェイの舞台で倒れ、病院に搬送される騒ぎもあった[2]。


2007年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を獲得した[3][4][5]。式典には007の宿敵ジョーズを演じたリチャード・キールや、『007 死ぬのは奴らだ』で共演したデヴィッド・ヘディスン、女優ステファニー・パワーズらが出席した[5]が、ムーアが星の前でひざまずいた後、立ち上がるのに人手を借りねばならない一幕もあった[6]。2008年には初めての自伝 "My Word Is My Bond" [7]を上梓、また仏芸術文化勲章の最高章であるコマンドゥールを授与された[8]。


私生活では、4度の結婚をしている。2人目の妻である歌手のドロシー・スクワイアーとは1961年に破局したが、彼女がその後8年間離婚を拒んだため、ムーアと後述するルイザ・マッティオリとの間の子供のうち2人は、庶出子となってしまった。ドロシーは1998年に死去したが、2009年になってムーアはドロシーが子供の頃住んでいた家に300ポンドのブルー・プラークを贈った[9]。


3人目の妻である元女優のルイザ・マッティオリとの間には2男1女がおり、子供の中でジェフリーとデボラは俳優になった。1994年、ムーアがルイザに電話で二人の38年間の関係は終わったと告げ、1993年に患った前立腺癌[10]のためリヴィエラで療養中、ルイザの親友であるクリスティナ・ソルストラップと恋愛関係になっていたことが明らかになった。2002年に1億ポンド(スターリング・ポンド)の慰謝料でルイザとの離婚が成立すると、ムーアは74歳でクリスティナとモンテカルロで秘密裏に結婚式を挙げたが、このときムーアの子供は誰も出席しなかった[11]。しかし、2007年のハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム殿堂入りの際には、妻クリスティナとムーアの3人の子供がそろって出席した[5]。


日本語吹替えは『007 死ぬのは奴らだ』以降、広川太一郎が持ち役としていた。
2017年5月23日、がんにより89歳で死去。[12]


セイント 天国野郎
1962年に英国で製作、放映された人気TVシリーズ。ムーアの名声を確立した作品であり、当時、人気が低迷気味だった小説「サイモン・テンプラー」シリーズのカンフル剤になり、新刊や過去作の復刻を促した。


製作は特撮人形劇『サンダーバード』で知られるITCのルー・グレード卿で、主人公サイモン・テンプラー役には後に『プリズナーNo.6』の製作・監督・主演でも知られることになるパトリック・マクグーハンとムーアが候補になり、ムーアが役を射止める。この二人は初代ボンドの有力候補にもなっており、また、3代目ボンドとしても名前が挙がった。


ムーア本人はテンプラー役はショーン・コネリーと競り合いの末、勝ち取った役で、コネリーはやむなく、ボンド役になったとの発言をユーモアたっぷりに語っている。(この話はムーア独特の一種のジョークで、事実関係は確認できない)
ムーアは本作で監督・脚本家デビューもしている。


本作にはオナー・ブラックマン、シャーリー・イートン、ユーニス・ゲイソン、ロイス・マクスウェル、など、007シリーズ縁の俳優もゲスト出演している。


3代目ジェームズ・ボンド
1973年に『007 ダイヤモンドは永遠に』で1作のみの限定復帰をしたショーン・コネリーの後を受け、3代目ジェームズ・ボンド役に抜擢され、低迷していたシリーズの人気を立て直し、国際的スターの座にのぼる。エレガントかつユーモラスなキャラクターが、ファンは勿論、スタッフや共演者にも愛され、1985年の『007 美しき獲物たち』まで足掛け13年、シリーズ7作品に連続で主演した(現在6人のボンド俳優の中で最多の出演本数[13])。


絶対に覆すことが出来ないと思われたボンド=コネリーの公式を打ち破り、代を替えて現在まで続くシリーズの礎を築いた中興の祖である。タフでワイルドなコネリーと正反対の路線を目指したため、しばしば原作のイメージを逸脱し、「ムーアのボンド」を追求したことで一時代を築く。このため、後任のボンド俳優を評する際には「コネリーとムーアの長所を掛け合せた」など、引き合いに出されるボンド俳優の二大巨頭の一人である。5代目のピアース・ブロスナンも「(前任者4人の内)ショーンとロジャーは意識しないわけにはいかなかった」と語るほどである。


歴代最初の黒髪ではない(栗毛色)ボンドである。[14]
歴代最初のクイーンズイングリッシュを喋るボンドである。[15]


ボンド役については、原作者イアン・フレミングがムーアを推薦しており、ムーアが『セイント 天国野郎』で活躍していた頃、ショーン・コネリー降板後の2代目ボンド俳優に決定していたが、撮影が延期になり、『セイント 天国野郎』との兼ね合いでスケジュール調整がつかず、その時点ではジョージ・レーゼンビーが2代目ボンドに抜擢された。レーゼンビーの降板後、後任として、1971年に再びムーアにボンド役の誘いがあったが、今度は『ダンディ2』の撮影が決まってしまい、出演できず、3代目はジョン・ギャビンに決まる。しかし、配給のUAがコネリーの再登板を要求、コネリー側の条件を全面的に承諾することで一本限りの初代ボンドの復活となった。ギャビンの3代目は幻となる。1973年、結局、『ダンディ2』は人気を得られず終了、スケジュールの空いたところに一作目から数えて実に4度目のオファーで3代目のムーア・ボンドの誕生となった(5代目ボンドとして活躍したピアース・ブロスナンのボンド役決定までにも似たような経緯がある)。2代目のレーゼンビー同様、コネリーの後任である。ムーア自身はフレミングとは面識がなく、彼の推薦という話は配役を正当化させるためのイーオン・プロダクションズのプロパガンダではないかと推察している。


3代目襲名以前の1964年にイギリスのTVショーのミニコントでボンドに扮しており、ムーアが初代ボンドの候補であったこと、待望論があったことを証明している。


コネリーとの差別化を図るため、ドライ・マティーニを注文しない(口にしたことはある)、タバコではなく、(本人の好みである)葉巻を嗜むなどの工夫をしている。ボンドを演じる際、コネリーの真似をしないよう気をつけていたが、特徴的なコネリーの声真似は得意である。


歴代ボンドで唯一アストンマーティンに乗っていない(『ダンディ2 華麗な冒険』では(黄色の)アストンマーティン・DBSに、『キャノンボール』ではアストンマーティン・DB5に乗っている)。


歴代ボンド全員と交流がある(デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズも含む)。特にショーン・コネリーとは英国出身の同年代の渡米組ということもあり、無名時代からの友人で、お互い有名キャラクターを演じるために1962年に帰国したことなどもあり、親交が深い。


ムーアはイーオン・プロダクションズとの関係が絶望的に悪化しているコネリーとは対照的に非常に良好なため、シリーズの特番のインタビューは勿論、パーソナリティや時にはボンドに扮して登場することもある。


アルバート・R・ブロッコリ、ハリー・サルツマン、コネリーたちと親交が深いが、彼らがそれぞれ仲が良くないことも熟知しており、この点に関して腐心した。コネリーがまだボンドだった時代に3人のテーブルに同席したことがあり、気が気でなかったという。
コネリーに次いで"サー"の称号が与えられたボンド俳優である。


英国文学界が生んだ世界的二大キャラクター、シャーロック・ホームズとジェームズ・ボンドを演じた唯一の俳優である。


その他にも『セイント 天国野郎』の主人公「サイモン・テンプラー(=ムーアというイメージが今でも欧米にはある)」、『ピンク・パンサー』シリーズのジャック・クルーゾー警部(奇しくもこちらも初代からバトンを受けた3代目)等の人気キャラクターも演じている。


「007」シリーズ以外にも数々のアクション映画に主演したムーアだが、意外にも自他共に認める運動音痴だという(唯一得意だった競技は水泳)。彼が演じた007はシリーズ中でもかなり豪華なアクションを取り入れたものであったが、スタントマンによる吹替えを多用したとの説もある[16]。また、最後のボンド作品となった『007 美しき獲物たち』ではムーアはすでに50代後半。ほとんどのアクションシーンではスタントマンを使ったのだという。同作ではかなり顔の皺が目立っている。ムーアが『美しき獲物たち』を最後にボンド役を降りた理由は、冗談めかしに「これ以上やったら殺される」ということであった。しかし、多くのスタントマンたちはムーアは世間が思っているほどスタントに消極的ではなく、むしろ、ティモシー・ダルトンの方がスタントマンに任せきりだったと語り、ムーア自身はスタントマンに頼ってばかりいることを揶揄した記者の質問に対して、冗談めかして「ラブシーンは全部スタントマンが演じている」と嘯いた。実際、ラブシーンはスタントマンに任せたいほど苦手だった。また、こういったムーア一流のユーモア溢れる受け答えを記者は怒ることなく、むしろ、好意をもって対応したことからも、ムーアの人柄が滲み出ている。また、「アクション映画は楽だ。覚えるセリフは少ないし、危険なシーンは代役がいる」と普通の俳優が言ったら問題視される内容の発言も多くの人を笑いに包み込むことが出来るパーソナリティの持ち主である。


初代ボンド、ショーン・コネリーより3歳年上で(ショーン・コネリーの生年月日は1930年8月25日)、最年長のボンド俳優であったが、2017年5月23日に亡くなったため、ショーン・コネリーが最年長のボンド俳優となった。ムーアは歴代ボンド俳優で、1967年の007 カジノロワイヤルでボンドを演じたデヴィッド・ニーヴン(1983年死去)や、1954年の007 カジノロワイヤルでボンドを演じたバリー・ネルソン(2007年死去)を除くと最初に鬼籍に入る事になった。


詳しい事は、「ロジャー・ムーアウィキペディア」をご覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2
(wikiより)


ロジャー・ムーアさんの「007 黄金銃を持つ男」も面白かったなぁ・・・・・


合掌。