酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6675 瑞光院赤穂義士四十六士遺髪塔の由来(京都府京都市上京区瑞光院前町)

元禄十五年 ( 1702年 ) 十二月、赤穂浪士吉良邸に討入本懐を遂げし後、翌年二月四日に義士四十六人が切腹する二日前、瑞光院々主の使僧、宗海 ( そうかい ) 禅師は細川、松平、毛利、水野の四家の大名に預けられた四十六人から髷 ( まげ ) の髪をもらい受けた。


帰郷後、大石蔵之助良雄 ( おおいし - くらのすけ - よしたか ) の遺志により主君、浅野内匠頭長矩 ( あさの - たくみのかみ - ながのり ) 候の墳墓の傍らに四十六士の遺髪を瓶 ( かめ ) の器に納めて埋め、その上に遺髪塔として石塔一基を建立した。


石塔には四十六人の姓名と戒名が刻まれている。


義士のうち寺坂吉右衛門は切腹していないため、刻名されていない。


この遺髪塔は昭和三十七年 ( 1962年 ) 、当地より山科に移転した瑞光院において現在も祀られている。


● 瑞光院
慶長十八年 ( 1613年 ) 浅野長矩候の旧蹟地に因州 ( 鳥取県八頭群 ) 若櫻 ( わかさ ) 城主・山崎左馬允家盛 ( やまざき - さまのすけ - いえもり ) 候が大徳寺の琢甫 ( たくほ ) 宗林和尚を開祖として創建された。


明暦三年山崎家断絶後、第二世陽甫 ( ようほ ) 和尚が播州赤穂城主浅野内匠頭長矩候の内室・瑤泉院 ( ようせんいん ) と俗縁にあり、且つ浅野家遠祖の旧蹟たる等の因縁により、赤穂浅野家の祈願寺となる。


元禄十四年三月 ( 1701年 ) 、長矩候江戸城において吉良上野介 ( きら - こうずけのすけ ) への刃傷におよび浅野家は断絶となる。


同年八月大石良雄當院に長矩候の衣冠を埋め、亡君 ( 冷光院殿 = れいこういんでん ) の石塔を建立し、以後墓参の都度同志密議の処とした。


瑞光院由緒書より
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/44.html

41 大石内蔵助良雄墓


 大石内蔵助良雄