酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6596 益田遇所墓(文京区向丘2-17-4・浄心寺)

益田遇所(ますだ ぐうしょ、男性、寛政9年(1797年) – 万延元年3月16日(1860年))は、江戸時代後期に江戸で活躍した日本の篆刻家である。


本姓は山口氏であったが益田家の養子となる。名は粛、字は士敬、遇所は号で別号に浄碧居がある。江戸の人。


略伝
幼いうちから長橋東原について書を学び、また経学を好んだ。この頃、東嶺と号している。次に益田勤斎に入門し篆刻を学ぶ。勤斎門下で抜きんでて技量が優れていた。天保4年に勤斎が没するが継嗣がなく親戚らが協議して遇所を養子に迎え入れて跡を継がせた。盛名が高まり名士がこぞってその印を求めた。安政4年と6年には幕府の名を受けて印を刻し賞賜を授かっている。江戸下谷和泉通り付近に居宅があった。門弟には中井敬所が育ち、子の香遠が家業を引き継いでいる。


作風は高芙蓉の古体派であったが、独自の作風を加えて新味を出し、号に因んで浄碧居派と称している。常日ごろから『蘇氏印略』や『秦漢印存』などの印譜を範としていた。


関連項目
・篆刻
・日本の篆刻史
・日本の篆刻家一覧


出典
・中井敬所『日本印人伝』(収録『日本の篆刻』中田勇次郎 、二玄社、1966年)


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7601.html

6595 益田勤斎墓(文京区向丘2-17-4・浄心寺)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7603.html
6597 益田香遠墓(文京区向丘2-17-4・浄心寺)