酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6615 三代目・古今亭志ん生墓(新宿区原町3-82・法身寺)

3代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、文久3年9月5日(1863年10月17日) - 大正7年(1918年)5月10日)は、明治・大正期に活躍した東京の落語家。


本名、小瀬 岩松(後に和田と改姓)。通称「軍鶏の志ん生」(※なぜ軍鶏と呼ばれたかは説が諸説あり、当時新橋にあった「今松」という軍鶏を食べる専門店があってその今松からという説と、名前の岩松が似ていたからという説が知られている、他にも顔が軍鶏に似ていたなど)。


最初は4代目立川談志の門下で4代目立川談笑を名乗った後、1882年頃に2代目古今亭今輔の門で今三郎、今松となりやがて屋号を変えて1888年12月に初代むかし家今松、1896年5月に真打で5代目雷門助六を襲名。


1910年12月に3代目古今亭志ん生を襲名したが1913年6月初代古今亭雷門と改名し、翌年1月に3代目古今庵志ん生、また翌年6月に古今庵雷門に戻し1917年8月にはまた3代目の志ん生に戻る。人気が下火になり改名を繰り返したとされる。


墓所は新宿区法身寺。


SPレコードは歌舞伎の声色中心に残されている。


弟子に、雷門のち横目家助平(利倉常次郎)、4代目古今亭志ん生、4代目古今亭志ん馬、4代目五明楼玉輔、6代目雷門助六、雷門のち春雨家雷蔵、上方に移住した古今亭のち三遊亭志ん蔵など。


実の娘は常盤津文字喜代と言い、後に上方に出向き3代目笑福亭福松の門下になり文の家たよりと改名、その後同じ一門の文の家恋しくと結婚末、相方となり漫才師になった。


出典[
・諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
・今週の噺家 シャモの三代目古今亭志ん生
(wikiより)