酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6560 三世・市川新十郎墓(新宿区河田町2-5・月桂寺)

三世・市川新十郎 ( 本名、小山元之助 )
慶応 3年 4月 8日 ( 1867年 5月 11日 ) - 昭和 4年 ( 1929年 ) 7月 1日 )


略歴
1874年(明治7年)九代目市川團十郎門人となり市川福之助と名乗る。同年江戸河原崎座で初舞台。


1894年(明治27年)市川團七と改名。


1900年(明治32年)4月、歌舞伎座で「勧進帳」の番卒、「妹背山婦女庭訓・金殿」の官女で三代目市川新十郎を襲名。名題に昇進する。


小芝居から大歌舞伎などにかけて活躍し、名優の型や有職故実に詳しいことから日本俳優学校の講師となり歌舞伎界の御意見番として重きをなした。


舞台では「先代萩」の外記、「助六」のくわんぺら門兵衛や道化役、あるいは歌舞伎十八番の後見など脇役として出演した。


また、隈取りの保存にも力を入れ、大田雅光との共著による『歌舞伎隈取』は貴重な芸能資料である。


逸話
生き字引的な存在で、六代目尾上菊五郎をはじめとする幹部俳優は必ず新十郎から手ほどきを受けていた。だが、芸風には品格にかけるところがあり、晩年は後輩の四代目尾上松助らに押されていい役に付けてもらえなくなった。新十郎は「何でもいいから働かしてもらいたい。どんな役にでも嫌がらずに出るんだから、たくさん出して貰いたい。一つか二つちょっと出て、それで大枚のお給金を取るのは、俺あ嫌だ。」とこぼしていた。

実生活ではかなり苦しく、飯のオカズは魚のアラばかりで、女房は絶えず質屋通いをしていた。ために、肉襦袢に付ける隈取りを書くなどの内職で辛うじて生計を立てていた。

動物好きで、家には犬や猫、文鳥、カナリヤ、オウム、雉などを多く飼っていた。また、自身の干支から七番目の動物を大事にするといいという迷信から猿を飼い、猿に関する置物を収集していた。だが、関東大震災の時に焼け死ぬのを避けるためにすべて逃がしたという。

弟子の一人に市川斤十郎がいるが、彼は新十郎の死後初代中村吉右衛門のもとに移り、中村秀十郎となり、戦後千谷道雄による聞き書き「秀十郎夜話」を出して歌舞伎界の大部屋俳優の生活を窺う貴重な記録を残す。
(wikiより)