酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6550 大宮敏充墓(新宿区河田町2-5・月桂寺)

大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は、恒川 登志夫。大宮デン助はあるいは単にデン助という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際の、ペンネームは言問 三平。


略歴
東京都浅草生まれ。第二東京市立中学校(現・東京都立上野高等学校)を卒業後、当時スターだった歌手・田谷力三に憧れ芸能界入り。実家からは勘当され独力でタップダンスを習得、これを糧にする。1939年、26歳にて大宮登志夫の芸名で一座を結成。各地で巡業を始める。浅草国際通りの裏手に実在した経師の木村伝助をヒントに、彼をフィーチャリングしたデン助を主人公とした『デンとショー』を考案。メリヤスシャツ、腹巻き、背広、ハゲ頭をゆらゆらゆらしぐるっとした大きな目玉、青い口ひげをはやし草履ばきが特徴なデン助に扮してタイムリーな話題にして風刺の効いたコントやショーを行い決まり文句でもある「オレにデンとまかせておけ」と共に大流行した。この頃は大宮敏光という芸名であったが人々からは「大宮デン助」という愛称で呼ばれるようになっていた(最終的な芸名である大宮敏充に改名したのは、1961年である)。


1942年に地元浅草にて公演を開始。河合キネマという小さい映画館に出演して人気を得る。評判を聞きつけた吉本興業(東京吉本)から声がかかり、吉本の東京の劇場に出演するようになった。しかし当時の吉本は浅草だけでなく、渋谷や横浜にも劇場を持っていたため、そちらにも出演しなければならず、浅草にじっと落ち着けないのが悩みだったという[1]。そうした中、1944年に松竹に招かれ、浅草で新設の松竹演芸場に出演するようになる。しかし出演5日目に召集令状が来て出征。東京から小樽に向かい、そこから千島列島のホロムシロ島に送られる予定だったが、その時の部隊副官が、奇しくも吉本興業の支配人をやっていた人物だったため、戦場に送られず、小樽の物品販売所に回された。ホロムシロ島へ送られた連中は、島へ着く直前に魚雷でやられ、1500人全員が全滅したという。


戦後復員。1946年に「デン助劇団」を結成。浅草・松竹演芸場を拠点に自ら演出・脚本・主演(役名は木村デン助)をこなすなど、浅草演芸界の代表的な存在にまで登りつめた。この松竹演芸場での活躍は1973年の劇団解散まで続き、浅草演芸界の華であった。また、NET(現:テレビ朝日)で放映されていた『デン助劇場』は1959年4月11日から開始され好評を博し1972年3月25日まで続いた。番組では「デン助人形」がプレゼントされていた。萩本欽一は高校時代弟子になろうとしたがデン助に「高校を卒業しな」と諭され、高校卒業の日にデン助の元へ急ごうと胸を踊らせていたがたまたま会った東洋劇場の支配人にネガティブな事ばかり言われて気持ちが挫け断念した。もしそのまま行ってたら2代目を継いでコント55号は誕生してなかったかもしれないと回想している。


劇団解散後、晩年はテレビで俳優などをこなしていたが持病の糖尿病が悪化して1975年11月に入院し、1976年に脳卒中と肺炎のため死去。63歳没。


主な出演作
映画
・体当り殺人狂時代(1957年)新東宝/監督:斎藤寅次郎
・デン助の陽気な靴みがき(1958年)東映/監督:伊賀山正光
・泣き笑い!日本晴れ(1958年)松竹/監督:穂積利昌
・デン助の陽気な拳斗王(1958年)東映/監督:伊賀山正光
・デン助の小学一年生(1958年)松竹/監督:尾崎甫
・デン助のワンタン親父とシューマイ娘(1959年)東宝/監督:板谷紀之
・デン助のやりくり親父(1959年)東宝/監督:板谷紀之
・誰よりも金を愛す(1961年)新東宝/監督:斎藤寅次郎
・私は嘘を申しません(1961年)新東宝/監督:斎藤寅次郎
・宝石泥棒(1962年)大映/監督:井上梅次
・続・てなもんや三度笠(1963年)東映/監督:内出好吉
・股旅(1973年)崑プロ=ATG/監督:市川崑
・若い貴族たち 13階段のマキ(1973年)東映/監督:内藤誠
・ダメおやじ(1973年)松竹/監督:野村芳太郎


テレビドラマ
・デン助のお巡りさん(1959年)
・赤ひげ(1972年)
・追跡(1973年)
・ぶらり信兵衛 道場破り(1973~1974年、フジテレビ 東映)
・俺たちの旅(1975年)


出典
1. 大宮敏充『デン助 浅草 泣き笑い人生』三笠書房、1973年、81頁。


関連項目
・西条道彦
・でんすけすいか
(wikiより)


 大宮敏充