酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6486 天知 茂墓(世田谷区野沢3-38-1・龍雲寺)

天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。


来歴
旗本・水野十郎左衛門の子孫で、高校卒業後、1949年(昭和24年)に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。


1951年(昭和26年)、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子・久保菜穂子・高島忠夫・三原葉子・松本朝夫・小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。仕出しやちょい役が続いたが、1954年(昭和29年)、蟻プロ制作の低予算映画『恐怖のカービン銃』で初主演。その後も脇役ばかりであったが、大蔵貢が社長に就任すると、経費削減の為、給料の高いスター級の俳優とは契約を打ち切り、脇役俳優に役が回ってきた。


1957年(昭和32年)、『暁の非常線』で2度目の主演。悪役俳優として注目されるようになったが、当人は二枚目役を望んでいたので不満だった。


1959年(昭和34年)、映画『東海道四谷怪談』で監督の中川信夫より民谷伊右衛門役に抜擢され、迫真の演技力により注目される。以後、1961年(昭和36年)まで多くの主演作が作られるようになる。労働組合委員長として新東宝倒産まで在籍した。


1961年(昭和36年)、大映と本数契約。時代劇を中心に準主演級で1971年(昭和46年)の大映倒産まで活躍。『座頭市物語』の平手造酒役での個性的な演技で頭角をあらわし、田宮二郎主演の犬シリーズではコミカルなショボクレ刑事役をこなした。伊藤大輔脚本・三隅研次監督・伊福部昭音楽の『眠狂四郎 無頼剣』(シリーズ第8作)では、狂四郎の敵役として対等の存在感を見せた。原作者の柴田錬三郎は試写を見て「これは(自分の)眠狂四郎ではない」と語り、主演の市川雷蔵からも「どっちが主役だか分からない」と不興を買った。


1964年(昭和39年)以降は兄貴分の鶴田浩二のいる東映の任侠映画でも準主演級で活躍。次第に役域を広げる機会に恵まれ、1968年(昭和43年)には三島由紀夫の依頼により、美輪明宏主演舞台『黒蜥蜴』(原作は江戸川乱歩、脚色は三島)で明智小五郎役を演じ、これが当たり役となる。


1966年に「A&Aプロダクション」を設立し独立(後にアマチプロゼに改称)。北町嘉朗・岡部正純・宮口二郎・池田駿介・堀之紀などの俳優が所属していた。ニヒルな渋さを漂わせた個性派俳優として地位を確立。ハードボイルドの代表的スターの一人となり、かつてとは逆に、刑事など社会正義派的な役どころがはまり役となっていく。テレビ朝日系で放送された『非情のライセンス』や、土曜ワイド劇場で連続放映された『江戸川乱歩の美女シリーズ』は人気のシリーズとなり、明智小五郎は天知でなくては務まらないほどになった。また、『非情のライセンス』では主題歌「昭和ブルース」を持ち前の渋い低音で歌ってヒットさせた。


テレビ時代劇においても、映画界時代以来培ってきた安定感のある演技力で主演および主要脇役として活躍。『雲霧仁左衛門』、『無宿侍』、『江戸の牙』、『闇を斬れ』、『地獄の左門十手無頼帖』など連続ドラマやシリーズ物の主演多数、TBS系高視聴率番組『大岡越前』では与力・神山左門役で存在感を示した。


俳優以外の活動としてアマチフィルムを設立。自らも宇寿木純というペンネームでメガホンをとった。また、中川信夫の監督映画『怪異談 生きてゐる小平次』では題字を手掛けた。明智シリーズも25作目を数え、時代劇やコメディドラマでも味を見せ、新たな映画製作の企画を進めていた矢先の1985年(昭和60年)7月27日、クモ膜下出血により渋谷区の日赤医療センターにて死去。満54歳没。没した直後に明智シリーズ第25作『黒真珠の美女』が追悼放映された。


人物
ニヒルの代表格で、当時の代名詞的存在であった。孤独なヒーロー役や悪役が多く、今日のようにバラエティで素顔を露出させられるような時代ではなかったこともあって役柄と個人イメージが混同されがちだが、関係者は一様に真面目だが気さくな人柄だったと語っている。


独特の美貌と眉間のしわはマダムキラーの異名を持ったが、私生活では浮ついたところがなく、よき家庭人だった。夫婦喧嘩など一回もしたことがなかったと葬儀の際、純代夫人(第一期新東宝スターレットの元女優で、当時の芸名は森悠子)が証言している。また、宮口二郎、奥田瑛二、宅麻伸が天知の付き人であった。宮口が『非情のライセンス』のレギュラーに起用されたり、宮口や宅麻が『江戸川乱歩の美女シリーズ』に再々脇役で招かれたように、弟子や後輩の面倒見は非常に良かった。


逸話
作家澁澤龍彦は天知のファンで、『地獄』(中川信夫監督)その他の作品における彼の存在感と演技力を高く評価していた。


三島由紀夫も『東海道四谷怪談』における天知の演技を高く評価し、丸山明宏(美輪明宏)初主演の舞台『黒蜥蜴』(1968年)の明智小五郎役に抜擢した[1]。


もう一人の問題は、相手役の明智小五郎だつた。このダンディ、この理智の人、この永遠の恋人を演ずるには、風貌、年恰好、技術で、とてもチンピラ人気役者では追ひつかない。種々勘考の末、天知茂君を得たのは大きな喜びである。映画『四谷怪談』の、近代味を漂はせたみごとな伊右衛門で、夙に私は君のファンになつてゐたのであつた。
— 三島由紀夫「『黒蜥蜴』」(東横劇場プログラム)[1]


また元角川書店社長の角川春樹は、テレビドラマ『孤独の賭け』で天知が演じた六本木のバーの経営者に憧れて、大学卒業後に新宿でバーを経営していたことがある。


若山富三郎は後輩を壁際に立たせ、若山得意の手裏剣を投げつけるということをしていたが、天知は手裏剣を投げつけられても瞬きひとつせず、若山を感心させた[2]。


詳しい事は、「天地 茂ウィキペディア」をご覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9F%A5%E8%8C%82
(wikiより)


 天知 茂