酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6182 板坂如春の墓碑(墨田区立花6-17・東漸寺)

板坂如春は江戸初期の名医で、二代卜斎 ( ぼくさい ) と号しました。


板坂家は室町期ごろから朝廷に仕えた医家で、父の初代卜斎は武田信玄に見出され、後に徳川家康に用いられました。


如春は、家康の命で二代将軍・秀忠の小姓として仕えていましたが、後に医術を学んだことから家康に仕え、戦場にも従いました。


家康から医術の才を認められた如春は、その意を受けて徳川頼宣の侍医として紀州に行き、後に江戸に帰り四代将軍・家綱の診療に当たったこともありました。


晩年、浅草に閉居し、邸内に薬草を栽培したり、多くの和漢の書、医書を集めて浅草文庫と称して縦覧を許しました。


明暦元年 ( 1655 ) 78歳で病没し、墓碑は浅草寺の塔頭 ( たっちゅう ) 医王院にありました。


後に浅草寺末の東昌寺に移されましたが、さらに東漸寺に移されて今日にいたりました。
(案内板より)