酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6174 市場通笑墓(台東区松が谷1-6-17・祝言寺)

市場通笑 ( いちば - つうしょう )
( 1739‐1812 ( 元文 4‐文化 9 ))


江戸後期の黄表紙作者。


江戸通塩町に生まれる。


名は寧一、字は子彦、通称は小倉屋喜平次、俳名は橘雫。教訓亭、三文生の号もある。


生涯無妻で妹婿夫婦と住み、火災によって横山町に移る。


表具師を業とするかたわら 1773年 ( 安永 2 ) ごろから黒本・青本の作に従ったらしい。


79年《噓言弥二郎傾城誠 ( うそつきやじろうけいせいのまこと )》ほか 7種の黄表紙に通笑署名の作品を発表し、以後寛政 ( 1789 ‐ 1801 ) ごろまでに約 100種の作があり、《教訓蚊之呪 ( かのまじない )》( 1782))、《即席耳学問》( 1790 ) などが知られる。


また光明寺 ( 江東区亀戸 3- 42- 1 ) に、市場通笑の碑が有るそうですが・・・何も説明版も無い為に確定出来ませんでした ( やぶ蚊の来襲が酷く )。


 黄表紙
黄表紙(きびょうし)は、江戸時代中期の1775年(安永4年)以降に流行した草双紙(一種の絵本)のジャンルの一つ。


⇧⇩ 黄表紙本




概要
恋川春町の『金々先生栄花夢』(1775年刊行)が、それまでの幼稚な草双紙とは一線を画する、大人向けの読み物として評判になった。それ以降の一連の作品を、のちに黄表紙と呼ぶようになった。1冊5丁で、2・3冊からなるものが多い。毎年正月に刊行されるのが通例であった。なお、朋誠堂喜三二、恋川春町の「文武二道」を冠する黄表紙は、松平定信の文武奨励策を風刺したものとして、幕府から圧力を受けた。山東京伝の洒落本・黄表紙も摘発され、京伝は手鎖50日の刑を受けた。黄表紙の挿絵には多くの浮世絵師が参加しており、他に北尾政美、歌川豊国、玉川舟調、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、鳥高斎栄昌、葛飾北斎らがこれらの挿絵を描いていた。文化期頃から敵討ち物が全盛となって長編化し、合巻というジャンルに移行した。


特徴
『金々先生栄花夢』からも知られるように、黄表紙の筋書き自体はたわいもないような話であるが、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。ふきだしの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持っていた。


代表作
・『金々先生栄花夢』(1775年)恋川春町[1]
・『江戸生艶気樺焼』(1785年)山東京伝
・『文武二道万石通』(1788年)朋誠堂喜三二
・『鸚鵡返文武二道』(1789年)恋川春町


関連項目
・合巻
(wikiより)