酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6156 九代目・田子ノ浦(池田家)墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)

鬼ヶ谷才治 ( おにがたに さいじ、1855年 4月 19日 ( 安政 2年 3月 3日 ) - 1931年 ( 昭和 6年 2月 2日 ) は、明治時代に活躍した大相撲の力士。


伊予国宇摩郡 ( 現在の愛媛県四国中央市 ) 出身、本名は鈴木才治。最高位は小結。


現役時代の体格は 163cm、80kg。51歳 10ヶ月で幕内に在位したのは明治以降では最年長記録である ( もっとも、最後の場所は全休なので、実質は 51歳 2ヶ月 )。


来歴
初めは大坂相撲の時津風部屋に入門したが 1886年 ( 明治 19年 ) 初代梅ヶ谷に勧誘されて東京に加入する事になり、雷部屋から同年 1月場所に二段目 ( 現在の幕下 ) 格で付出された。


1887年 ( 明治 20年 ) 1月場所新入幕。


1891年 ( 明治 24年 ) 5月場所に新小結、5勝 3敗 1分と勝ち越して翌場所も小結を務めた。


その後は平幕に腰を据えるが東前頭 10枚目、当時 48歳で迎えた 1904年 ( 明治 37年 ) 1月場所では 6勝 2預と優勝同点に相当する成績[1]を挙げ、1907年 ( 明治 40年 ) 1月場所に 51歳で引退するまで何と 20年も幕内の座を保ち、その功労と驚異的な持久力を称えて協会から特別表彰され銀杯を授与された。


引退直後の 5月場所千秋楽には相撲記者団体「振角会」からの表彰もあった。


鋭い出足を生かした突っ張りが得意で時に引き落としや蹴手繰りも見せ組んでも投げや捻りが強かった。


現在であれば技能賞や敢闘賞は何度でも獲得できたと思われる。


2代梅ヶ谷となる梅ノ谷が入門すると指導を担当して大成させた。


梅ノ谷が幕下に昇進すると師匠とともに横綱土俵入りの指導まで行ない 1903年 ( 明治 36年 ) 5月場所後に梅ヶ谷 ( 梅ノ谷、大関 4場所目より改名 ) が横綱になると土俵入りで露払いを務めた。


引退後は年寄田子ノ浦を襲名。


2人の梅ヶ谷のよき相談役でもありさまざまな面で雷部屋を支えた。


1931年 ( 昭和 6年 ) 2月 2日 75歳で没。


この「鬼」という四股名ゆえ彼の世話になった者は節分等で「鬼は外」とは言えなかったそうである ( 2代梅ヶ谷の項を参照 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E3%83%B6%E8%B0%B7%E8%97%A4%E5%A4%AA%E9%83%8E_(2%E4%BB%A3) )


主な成績
・幕内在位:41場所
・幕内通算成績:105勝 119敗 28分 12預 146休 勝率.469


脚注
1. この場所で優勝相当成績を挙げたのは常陸山 ( 7勝 1敗 ) 2代梅ヶ谷 7勝 1敗 1預の両横綱で、いずれも 1敗している。
(wikiより)