酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6152 十一代目・武隈(緒方家)墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)

北の洋昇 ( きたのなだ のぼる、1923年 2月 1日 - 2002年 1月 8日 ) は、北海道網走郡網走町北浜 ( 現・網走市 ) 出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。


本名は緒方昇 ( おがた のぼる )。


現役時代の体格は 180cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、網打ち。


来歴
1940年 1月場所初土俵。


幸いにも兵役にとられることなく、着実に昇進し、1948年 10月場所に新十両となった。


一度幕下落ちなどして、新入幕は 1950年 9月場所。


初土俵から 10年経過していた。


しかし、出世がゆっくりだった分、幕内では長く定着し、1962年 3月場所限りで引退したときは 39歳と、丈夫で長持ちを実証する形であった。


相撲ぶりは左差し右おっつけで一気に前に出る相撲が「白い稲妻」という異名をとるほどの鋭さであり、軽量横綱であった栃錦や若乃花は苦杯を喫することがしばしばあった。


有名なのが 1958年 9月場所初日の栃錦戦で、もつれた相撲で立行司 19代・式守伊之助が涙の抗議を行い出場停止処分を受けたほどであった。


同僚の時津山、若羽黒、安念山とともに立浪四天王と呼ばれ、上位陣をしばしば苦しめた。


金星 10個は当時の最高記録であった。


引退後は年寄・武隈を襲名し、協会理事や監事を歴任し、春日野理事長 ( 元・栃錦 ) の体制を支えた。


また立浪親方 ( 羽黒山 ) が亡くなり追手風親方 ( 安念山 ) が立浪を継承する際にも「武隈親方がいれば大丈夫だ」と言われたりもした。


1988年 1月場所後に停年を迎え、娘婿の元関脇・黒姫山の北陣親方に武隈の年寄名跡を譲った。


停年後は、本名の緒方昇の名でNHKの相撲解説を勤めたほか、タレント活動も行った。


NHK総合テレビのクイズ番組「クイズ日本人の質問」に出羽錦忠雄とともに解答者 ( 大相撲チーム ) として準レギュラー出演。


また 1996年には伊丹十三監督の映画「スーパーの女」に出演し話題となった。


なお、NHKの相撲解説者は現役時の四股名で務めるのが慣例だが ( 現役では北の富士勝昭、舞の海秀平 )、「きたのなだ」という四股名が大変に読みにくいので本名になったという。


2000年 1月場所限りでNHKの相撲解説を退いた後も新聞などで評論活動をしていたが、2001年 3月、脳梗塞で倒れる。


以後療養生活を送るが、2002年 1月 8日、栃木県の病院で死去。78歳没。墓所は両国・回向院。


血液型はB型、趣味は麻雀。また、書を能くした。


白い稲妻という渾名は北の洋没後に孫の羽黒灘が逮捕された際にやくみつるが描いた4コマにも登場している。


主な成績
・幕内在位:52場所
・幕内成績:368勝 388敗 24休 勝率.487
・三賞:殊勲賞 4回、敢闘賞 1回、技能賞 5回
・金星:10個 ( 東富士 1、吉葉山 2、栃錦 2、千代の山 1、若乃花 1、朝潮 3 )
(wikiより)