酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6151 二十一代目・小野川(蜂矢家)墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)

蜂矢 敏行 ( はちや としゆき、本名は四股名と同じ、 1950年 11月 16日 - 2001年 1月 27日 ) は、岐阜県本巣郡根尾村 ( 現・本巣市 ) 出身で、春日野部屋に所属した大相撲力士。


最高位は西前頭 6枚目 ( 1984年 11月場所 )。


現役時代の体格は 180cm、108kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。


来歴
地元・根尾村の中学校を卒業後、愛知県犬山市のスーパーマーケットに勤務していたが、1967年 7月に相撲見物に行った事を切っ掛けに相撲取りになる事を決意。


しかし、体重が規定の 75kgに足りなかったため、その後故郷に戻って体重増加に努めた。


1年後、春日野部屋への入門を許され、1968年 9月場所で初土俵を踏んだ。


序ノ口当初から、本名でもある「蜂矢」の四股名で相撲を取り ( 一時「栃ノ矢」と改名した時期もあったが、すぐに元の「蜂矢」の名に戻している )、1976年 5月場所で新十両に昇進。


以降は、幕下と十両との往復を幾度も繰り返した。


だが、十両 24場所目の 1981年 9月場所では東十両 5枚目に在って 10勝 5敗と好成績を残し、これを手土産に翌 11月場所で念願の新入幕を果たした。


序ノ口に付いてから約 13年、80場所目での超スロー入幕であった。


小兵だが腕力は強く、投げや吊り寄りの大きい相撲を取ったが、頭をつけて食い下がる相撲は少なかった。


そのため幕内では通用しなかったが、十両在位は歴代 1位 ( 大潮とタイ ) の 55場所と、息の長い土俵生活を送った。


再入幕を果たした 1984年 9月場所では、東前頭 14枚目の地位で 10勝を挙げている。


1985年 1月場所を最後に幕内から遠ざかり、以降は長く十両で相撲を取ったが、幕下に落ちて全休した 1987年 9月場所を以って 36歳で引退した。


春日野部屋が出羽海一門という事から、同じ一門で力士の人数が少なかった三保ヶ関部屋で横綱・北の湖の付け人を長く務め、“北の湖の参謀”と呼ばれた。


その縁から、引退後は北の湖親方から年寄名跡の「小野川」を借り、春日野部屋から北の湖部屋へと移籍して後進の指導に当たった。


2001年 1月 27日、上顎癌により逝去。享年 50。


「主な成績・記録」については、『蜂矢 敏行ウィキペディア』を御覧下さいませ。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E7%9F%A2%E6%95%8F%E8%A1%8C


改名歴
・蜂矢 敏行 ( はちや としゆき ) 1968年 11月場所 - 1972年 5月場所
・栃ノ矢 将史 ( とちのや まさふみ ) 1972年 7月場所 - 1973年 1月場所
・蜂矢 敏行 ( はちや としゆき ) 1973年 3月場所 - 1987年 9月場所


年寄変遷
・小野川 敏行 ( おのがわ としゆき ) 1987年 9月 - 2001年 1月
(wikiより)