酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6149 呼出し賢市(田村家)墓(墨田区両国2-8-10・両国回向院内)

昭和 3年 12月 9日東京の生まれ、14年 5月初土俵。


昭和末期から平成初頭にかけては、のちに立呼出となった寛吉の次席にあった呼出として記憶されている方もあろう。


年齢は寛吉より 2つ上、だが初土俵が 3年半遅い。


寛吉・賢市・峰三の 3人は 44年あたりにはトップスリーだったが、 47年 5月に審判部から「声量不足」を理由に引退を迫られたことがあった。


特に寛吉の朗々たる呼び上げを思い起こせば信じ難いことである。


呼出が番附面に復活したのは平成 6年 7月、順当にいけば賢市は副立呼出のはずだが、賢市は残念ながら 5年 12月 22日に亡くなっている。