酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6108 依田學海旧居跡(向島5-40・言問小学校)

佐倉藩士の家に生まれた學海は、藩校・成徳書院で漢学を学び、教授となった。


後に江戸藩邸留守居役などの重職を勤め、維新後は東京会議所の書記官、文部省勤務に出仕し、漢文教科書の編集に携わっている。


53歳で退官し、創作や文芸評論に力を注いだ。


森鴎外の師としても知られ『ヰタ・セクスアリス』の中では文淵先生として登場。


向島の隅田川の土手を臨む須崎村 142 ( 向島 5丁目、言問小学校あたり ) に居を構え、若い妻と幸せな日々を送っていたことを書いている ( 実際は妾宅で、漢文の直しを乞いに訪ねた若い鴎外は気づかなかった )。


鴎外が 15歳の頃の出会いだが、その後も 2人の興隆は続き、鴎外のドイツ留学に際しては、『送森軍医遊伯林序』という僧別の漢詩を贈っている。


向島百花園にもよく足を運び、明治 15年に発行された『墨水二十四景記』には、百花園について記載している。


同書は永井荷風著「墨東綺譚」の主人公が持って歩いていたことでも知られている。


また、50年以上に亘って書き続けた日記『學海目録』には多くの文化人との交流が記され、明治文化史の貴重な資料にもなっている。
(案内板より)


● 依田學海
依田 学海(よだ がっかい、旧字体:學海、天保4年11月24日(1834年1月3日) - 明治42年(1909年)12月27日)は、日本の漢学者、文芸評論家、小説家、劇作家。幼名は幸造、信造。通称は七郎、右衛門次郎。諱は朝宗(ともむね)。初め字を百川(ひゃくせん)といったが後にこれを本名とした。学海は雅号で、柳蔭とも号した。


『学海日録』の著者。漢文の作文、特に記事文に優れ、その著作『譚海』は、菊池三渓の『本朝虞初新誌』と並び称される。森鷗外の師としても知られ、鷗外の『ヰタ・セクスアリス』の文淵先生のモデルでもある。


歌人の依田秋圃は甥にあたる。


来歴
下総国佐倉藩の藩士で長柄奉行を務めた依田貞剛の次男として佐倉(現在の千葉県佐倉市)に生まれる。長じて藩校・成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)で漢学・経史を学ぶ。明治5年(1872年)、東京に出て、東京会議所の書記官になる。明治14年(1881年)には権少書記官として文部省に出任し、音楽取調掛となり、また漢文教科書の編集に携わる。


明治18年(1885年)、文部省を退官、正六位に叙される。退官後は創作や文芸評論に力を注ぐ。


森鷗外に漢文を指導し、鷗外のベルリン留学に際しては『送森軍医遊伯林序』を贈った。鷗外との交流は、その小説『百物語』や『ヰタ・セクスアリス』に描かれており、特に『ヰタ・セクスアリス』の中で主人公(=鷗外)が15歳のときに漢文を教えてもらう「文淵先生」は、この学海がモデルとなっている。


鷗外の他にも多くの文学者と交流があり、幸田露伴を文壇に送り出した[1] 。川田甕江とは同門で甕江が死去するまで親しく交際した。


演劇では、川上音二郎のために『拾遺後日連枝楠』(しゅうい ごじつの れんし くすのくき)という歌舞伎がかった壮士史劇を書いたこともあったが、九代目市川團十郎の演劇改良運動に賛同する知識人のひとりとして歌舞伎の近代化を目指し、いわゆる活歴物の創作に協力、『吉野拾遺名歌誉』(よしの しゅうい めいかの ほまれ)などを書いている。自ら文化人を自負する学海は旧来の狂言作者を無学の俗物と見下しており、河竹黙阿弥のことまでも「馬鹿」と酷評したこともあったぐらいだが、その黙阿弥の書いた『新皿屋敷月雨暈』(魚屋宗五郎)で、主人公の宗五郎が最愛の妹を殺されて禁酒を破り酔態に陥ってゆくくだりを目の当たりにすると、「あのようにはなかなか書けるもんじゃない。やっぱり奴は天才だ」と賞賛している。


明治42年(1909年)、77歳で没。


主な著作
戯曲
・歌舞伎『吉野拾遺名歌誉』(よしの しゅうい めいかの ほまれ)- 川尻宝岑との合作、明治19年(1886年)
・歌舞伎『文覚勧進帳』(もんがく かんじんちょう)- 新歌舞伎十八番之一、明治22年(1889年)
・歌舞伎『豊臣太閤裂封冊』(とよとみ たいこう れっぽうさく)- 川尻宝岑との合作、明治23年(1890年)
・壮士劇『拾遺後日連枝楠』(しゅうい ごじつの れんし くすのくき)- 川尻宝岑との合作、史劇、明治24年(1891年)
・壮士劇『政党美談淑女操』(せいとう びだん しゅくじょの みさお)- 現代劇、明治24年(1891年)


著書
・『譚海』(3巻)
・『談叢』(2巻)
・『学海日録』 同研究会編、(全11巻別巻1:岩波書店、1990~93年)
・『菊水源流』(「依田南朝」という筆名で『少年世界』に連載)
・『墨水別墅雑録』 今井源衛校訂、(吉川弘文館、1987年)
・『富士艦迴航』
・『学海画夢』
・『学海余滴』 学海余滴研究会編、(笠間書院、2006年)
全著作・自筆日記など資料が一括して、「学海叢書」として無窮会専門図書館に所蔵されている。


参考文献
・昭和女子大学近代文学研究室編『近代文学研究叢書 第10巻』昭和女子大学光葉会、1958年
・戸板康二編『明治文学全集 85 明治史劇集』筑摩書房、1966年、ISBN 4480103856
・秋庭太郎編『明治文学全集 86 明治近代劇集』筑摩書房、1969年、 ISBN 4480103864
・学海日録研究会編『学海日録』岩波書店、1990~1993年
・依田学海作品刊行会編『依田学海作品集』依田学海作品刊行会、1994年
・白石良夫『最後の江戸留守居役』筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、ISBN 4480056742
 ・白石良夫『幕末インテリジェンス-江戸留守居役日記を読む』新潮文庫、2007年、ISBN 9784101328515
・学海余滴研究会編『学海余滴』笠間書院、2006年、ISBN 4305703009


補注
1. 「露伴の出世咄」、『思い出す人々』(内田魯庵、岩波文庫)所収。


関連項目
・新劇
・明治政府の修史事業
(wikiより)