酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6111 滝本いの墓・烈婦滝本之碑(南千住5-33-13・回向院)

烈婦瀧本之碑

曩者有小塚原回向院烈士遺蹟保存会之企事達 天聴賜内帛若乎頃功竣兆域◆◆頓改面目
   


有志者即胥謀欲建碑烈婦瀧本墓側表彰其貞烈請予文因叙慷慨曰瀧本名伊能或曰伊予大洲
   
人家道零落被購為芳原谷本楼妓風姿始麗如深閨処女而意気跌宕夙概時事関遠一夕登其楼
   
聘之而有快快不怡色瀧本関曰君胡為不楽乎意有憤外夷之事乎妾久落風塵路花穡柳任行人
   
折挙亦少知大義為何物方今愛外夷者不奉 天子之詔也遠愕曰紅唇又吐如斯語乎属杯更酌
   
爾後屡過訪情交甚密深有所相許既瀧本脱妓籍僑居北槇坊遠等謀桜田義挙也密会同志之士
   
于其家瀧本察之声色聞内助尤勗焉上巳之変後遠更欲有所為潜逃北越幕吏捕瀧本鞠訊之笞
   
杖交下体無完膚更之取石堆積膝上血肉迸離終不言痩死于獄中年僅二十三実万延庚申六月
   
六日也嗚呼瀧本教坊一娼婦耳一旦感烈士精誠肝胆相照操守如斯死而与烈士同墓曰齊浴此
   
天恩不亦偉邪庶幾俾後人有所観興起乎銘曰


     蘭兮厥質 蕙兮厥心 コウ不恤緯 報国為任
     慕烈士義 殉殊思深 忠貞両炳  長照古今


   大正十年七月 子爵渋澤榮一篆額  維新史料編纂官正六位 岩崎英重 撰文
                    烈士遺蹟保存会理事長 菊地長四郎 書丹

 ◆は判読不明でした。


烈婦瀧本の碑


瀧本は名を伊能といい伊予大洲の生まれで、生家が零落したために遊女として江戸吉原に売られる身となった。


あるとき、水戸浪士・関鉄之助が上がったところ、その楽しまない様子を不審に思った瀧本が関に尋ねたところ、攘夷の事を聞かされた。


すると瀧本は意外にもその志を理解しこれについての意見を吐露した「妾久落風塵路花穡柳任行人折、挙亦少知大義為何物方今愛外夷者不奉 天子之詔」、関は驚く「紅唇又吐如斯語乎」それからは、この瀧本を深く愛するようになり、その後遊女から足を洗わせて一緒に住まうようになる。


そして、桜田門外の変にあたって、この家で志士たちが密会し謀議の場となったが、瀧本は内助を立派につとめ、関を義挙に出撃させる。


事件後に幕府は瀧本を捕えて、事件について尋問しひどい拷問を加えるが、瀧本は屈せず獄中において、23歳の命を閉じることとなる。


「大丈夫為国謀事豈告之婢妾」と口を閉ざしたため、「笞杖下体無完膚更之取石堆積膝上、血肉迸離終不言痩死于獄中」。


男子でも壮烈な獄死である。


大正 10年 7月、桜田義挙に殉じた瀧本を慕い顕彰してこの碑が建てられた。


篆額は資本主義の祖と言われる渋沢栄一氏の書、撰文は桜田義挙録の著者であり、坂本竜馬研究で知られる岩崎英重氏、本文の書は当時の資本家であり、坂下義挙に深く関わった菊池家の惺堂菊池長四郎 ( 教中の子、慧次郎の養子 ) である。


このとき長四郎は烈士遺蹟保存会理事長を務めている。


詳しい事は、以下ウィキペディアをご覧下さいませ。 


『関鉄之介ウィキペディア』 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E9%89%84%E4%B9%8B%E4%BB%8B


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/352.html

339 関鉄之介墓(荒川区南千住5-33-13・小塚原回向院)


⇧⇩ 関 鉄之介の墓