酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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6093 高畠達四郎墓(文京区小石川3-14-6・伝通院)

高畠 達四郎(たかばたけ たつしろう、1895年10月1日 - 1976年6月26日)は、日本の画家。独立美術協会会員。1952年2月に「暮色」で毎日芸術賞を受賞[1]。


略歴
1895年10月1日、東京市神田区の雑穀問屋に生まれた[1]。四男三女の末子[1]。東京女子高等師範学校幼稚園では同級生に鈴木信太郎(仏文学者)がいた[1]。1908年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。第七高等学校(現・鹿児島大学)文科と海軍兵学校に合格したが入学しなかった。1年後の1914年には慶應義塾大学理財科(現・経済学部)に入学したが、中退して本郷洋画研究所に入所[1]。1919年の光風会展で初入選を果たした[1]。


1921年に神戸から渡仏し、パリではアカデミー・ランソン(英語版)に通った[1]。中山巍、福沢一郎、大石七介とともにロルヌ街32番地のアトリエに住み、後には鈴木伸太郎も迎えた[1]。モイーズ・キスリングらのエコール・ド・パリの影響を受けた。1928年に7年のフランス生活を終えて帰国すると、梅原龍三郎の勧めで国画会に出品したが、1930年には独立美術協会の結成に参加し、以後独立展を主要な活動の場とした。1952年2月に毎日芸術賞を受賞[1]。


1976年6月26日、東京都港区の自宅で死去[1]。80歳。墓所は東京都文京区の伝通院。


代表作品
・プチ・ジャン
・裸木と海
・暮色


脚注
1. a b c d e f g h i j 高畠達四郎 東文研データベース


関連項目
・筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧


外部リンク
・ウィキメディア・コモンズには、高畠達四郎に関するカテゴリがあります。
・高畠達四郎 - 東京文化財研究所
(wikiより)


 高畠達四郎