酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6090 小室信夫墓(谷中7-14-8・天王寺)

小室 信夫(こむろ しのぶ、天保10年9月30日[1][注 1](1839年11月5日) - 明治31年(1898年)6月5日[2])は、日本の貴族院勅選議員。実業家。初名は利喜蔵・信太夫・彰、号は訒葊。


経歴
丹後国与謝郡岩滝村(現在の京都府与謝郡与謝野町)に、絹商家の長男として生まれる。京都で倒幕運動に参加し、足利三代木像梟首事件に加わった。その結果、幕府に追われ、徳島藩に幽閉された。


戊辰戦争が始まった1868年(慶応4年)1月に釈放され、徳島藩士に取り立てられた。徴士として明治新政府に出仕し、権弁事に任じられ、さらに岩鼻県知事に転じた。1870年(明治3年)に徳島藩で庚午事変(稲田騒動)が発生すると、政府より徳島藩大参事として派遣された。廃藩置県後は少議官、三等議官を歴任し、さらにヨーロッパ諸国へ派遣され、主に鉄道事業を視察した。帰国後の1874年(明治7年)、後藤象二郎・板垣退助・副島種臣・江藤新平らに民撰議院設立建白書の提出を説いて、古沢滋とともに起草にあたった。その後、大久保利通・木戸孝允・板垣退助の間を取り持ち、大阪会議を斡旋した。


その後、実業界に転じ、奥羽鉄道、小倉製紙所、第八十九国立銀行、第百三十国立銀行、北海道製麻、東京製薬、京都鉄道の設立に関わった。1882年(明治15年)には品川弥二郎農商務大輔とともに共同運輸会社(後の日本郵船)を創設した。


1891年(明治24年)には貴族院議員に勅選された。


脚注
注釈
1. 『百官履歴 下巻』(修史局編、日本史籍協会、1928年、P.519)では天保10年正月生まれとなっている。


出典
1. 『小室訒葊翁父子小伝』
2. 『官報』第4481号、明治31年6月9日。


参考文献
・山田立夫編 『小室訒葊翁父子小伝』 私家版、1924年。
(wikiより)


 小室信夫


⇧⇩ 奥様のお墓です。