酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6086 初代・若柳吉蔵墓(谷中7-14-8・天王寺)

初代・若柳吉蔵(わかやぎ - きちぞう)
明治12年6月21日 ~ 昭和19年1月25日(1879 - 1944)


若柳流日本舞踊家元。


2世宗家若柳吉蔵。本名、竹内孝太郎。父、竹内金太郎(三遊亭知遊)(長男)。


東京日本橋出身。


明治26年(1893)花柳流を破門になった2代花柳芳松が若柳吉松と名を改め、若柳流を興した。


明治38年(1905)若柳寿童と改名。


没後、大正6年(1917)弟子の若柳吉蔵が若柳流2世宗家を継ぎ、初代若柳吉蔵を名乗る。


大正9年(1920)「花柳流舞踊研究会」にさきがけ、名取連による「若柳会」を主宰。


2世・初代若柳吉蔵没後、養子の若柳吉正蔵が3世家元を継ぎ、2代若柳吉蔵を襲名(のち、2代若柳寿童)。


大正15年(1926)「日本舞踊研究会」を組織。


昭和9年(1934)子供向けの「日本舞踊若柳学園」を創立。


流派が分裂してからは、3世宗家若柳寿郎を名乗り、長男が4代目吉蔵となる。


作品:「戻橋」・「良寛と子守」・「二人三番叟」・「富士の雲」など。


戒名 : 「信妙院遊阿弥即真居士」。