酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6084 二代目・藤間勘右衛門墓(大田区池上1-1-1・池上本門寺)

二代目 藤間 勘右衛門(にだいめ ふじま かんえもん、天保11年2月12日または20日(1840年3月15日または23日) - 大正14年(1925年)1月23日)は、二世藤間流勘右衛門家元。晩年は藤間 勘翁(ふじま かんおう)を名乗る。


本名は藤間 金太郎(ふじま きんたろう)。浜町の藤間、大藤間と呼ばれた。


初代の実子。湯島天神町の生まれ、最初は歌舞伎役者の七代目市川團十郎の門下。


初名を藤間金太郎。12歳で父が死去し藤間勘十郎の門下で19歳で二代目藤間勘右衛門を襲名。


一時1867年に五代目西川扇蔵の養子となり六代目西川扇蔵を襲名するが、明治4年に藤間勘右衛門に戻る。


花柳流の初代花柳壽輔が九代目市川團十郎と対立し決別すると、團十郎からその後釜に迎え入れられ引き立てられる。


團十郎との提携で『春興鏡獅子』『素襖落』などを振り付け、他にも坪内逍遥の新歌舞伎舞踊『お夏狂乱』等も手がけ一時代を築いた。今日にもその踊りは受け継がれている。


生年月日は2月20日とも。


養子が三代目勘右衛門。
(wikiより)


 墓所全景 ( 左、七代目・松本幸四郎 右、二代目・藤間勘右衛門 )