酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6078 細川利永墓(谷中7-14-8・天王寺)

細川 利永(ほそかわ としなが)は、肥後熊本新田藩(高瀬藩)の第10代(最後)の藩主。


生涯
文政12年(1829年)1月24日、第8代藩主・細川利愛の三男として生まれる。


嘉永6年(1853年)5月に従兄で第9代藩主の利用の養子となり、安政3年(1856年)7月21日に利用が隠居したため、その後を継いだ。同年12月に従五位下、若狭守に叙任する。


元治元年(1864年)4月、神田橋御門番、慶応元年(1865年)7月、佃島砲台警備などを務めた。


慶応4年(1868年)7月25日、藩名を高瀬と改名する。


明治2年(1869年)、同族の宇土藩と共に大原口警護を務めた。


明治3年(1870年)9月4日、廃藩となり、その所領は本家熊本藩に合併された。


明治17年(1884年)7月8日、子爵に列する。


明治34年(1901年)4月19日に死去した。享年73。
(wikiより)


 細川利永



⇧⇩ 奥様のお墓です。