酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6077 大橋巻子墓(谷中7-14-8・天王寺)

大橋巻子 / 大橋槇子 ( おおはし - まきこ )
文政 7年 10月 29日 ~ 明治 14年 12月 23日 ( 1824 - 1881 )


歌人・勤王家。


父、豪商め佐野屋孝兵衛こと大橋淡雅。母、民子。菊池教中の姉。江戸出身。


父、大橋淡雅は、菊地家の養子だったが、大橋姓を名乗り、娘巻子が 19歳のときに商人ではなく儒者・清水正順 ( こと大橋訥菴 ) を婿養子に迎え、大橋姓を継がせた。


国学を吉田敏成に、歌学を母・民子から習い豊かな文才を現わした。


大橋訥菴が坂下門外事件に連座して入牢した際は、気丈夫な性格からその救済に奔走した。


当時の心境などをまとめた歌物語風の「夢路の日記」は志士に共鳴し評判となった。


夫は獄中で病気となり、出獄数日後に病没した。


夫の没後は、なお夫の開いた「思誠塾」で永く学生を世話した。58歳没。


長女誠の婿・養子は、大橋陶庵。


戒名 : 「貞荘懐之大姉」。


のちの人は、その功績を賞して「貞荘孺人」という。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/452.html
438 大橋訥庵墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7052.html

6076 大橋淡雅墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7058.html
6081 大橋陶庵墓(谷中7-14-8・天王寺)