酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6073 塩谷簣山墓(谷中7-14-8・天王寺)

塩谷簣山 ( しおのや - きざん )
文化 9年 5月 10日 ~ 明治 7年 9月 10日 ( 1812 - 1874 )


漢学者。


名、誠。字、誠之。通称、量平のち修輔。号、簣山・晩翠園・楠蔭書屋。


父、塩谷桃蹊 ( 二男 )。


兄は塩谷宕陰だが、宕陰の嗣子となる。


父の命で医を修め、父を早くに亡くし 18歳で松崎慊堂に経学を学ぶ。


25歳時京阪で活動。


天保 11年 ( 1840 ) 老中・水野忠邦に登用される。


文久 3年 ( 1863 ) 幕府儒官。ペリー来朝時にしばしば上申。


慶応 2年 ( 1866 ) 甲府典館督学。


維新後明治 3年 ( 1870 ) 大学助教授。


著書:「簣山文抄」、「西遊簿」、「避署録」、「叢語」、「漂民語録」、「研醜一覧」、「通史」。


63歳没。嗣子、塩谷時敏(青山)。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/390.html
375 塩谷宕陰墓(台東区谷中7・天王寺墓地)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7050.html

6074 塩谷青山墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7051.html
6075 塩谷 温墓(谷中7-14-8・天王寺)