酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6056 河辺虎四郎墓(谷中7-14-8・天王寺)

河辺 虎四郎(かわべ とらしろう、1890年(明治23年)9月25日 - 1960年(昭和35年)6月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。富山県出身。


人物
陸軍大将河辺正三の弟。


陸軍士官学校24期(同期に鈴木宗作、櫛淵鍹一、酒井康、柴山兼四郎、秋山徳三郎、甘粕正彦、岸田國士ほか)、陸軍大学校33期を御賜で卒業(同期に櫛淵鍹一、佐藤幸徳ほか)。


敗戦になった際、連合国と会談するため全権としてマニラに赴いている。


戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)部長のチャールズ・ウィロビーに接近し、1948年、軍事情報部歴史課に特務機関「河辺機関」を結成。辰巳栄一も関わる。河辺機関へのGHQからの援助は1952年で終了したため、河辺機関の旧軍幹部(佐官級)はG2の推薦を受けて保安隊に入隊している。河辺機関はその後、「睦隣会」に名称変更した後に、内閣調査室のシンクタンクである「世界政経調査会」になった。そのため、初期の内閣調査室には河辺機関出身者が多く流入している[1]。


略歴
1912年 ( 明治 45年 / 大正元年 )
  5月 陸軍士官学校 ( 24期 ) 卒業。
 12月 陸軍少尉。野砲兵第 3連隊付。


1915年 ( 大正 4年 )
 12月 陸軍中尉。陸軍砲工学校卒業。


1920年 ( 大正 9年 )
 8月 陸軍大尉。


1921年 ( 大正 10年 )
 11月 陸軍大学校 ( 33期 ) 卒業。野砲兵第 3連隊中隊長。


1922年 ( 大正 11年 )
 11月 陸軍参謀本部付勤務 ( 作戦課 )。


1923年 ( 大正 12年 )
  8月 陸軍参謀本部員。


1927年 ( 昭和 2年 )
  7月 陸軍少佐。


1928年 ( 昭和 3年 )
 12月 陸軍大学校教官。


1929年 ( 昭和 4年 )
  4月 陸軍参謀本部員 ( 作戦課 )。


1931年 ( 昭和 6年 )
  3月 陸軍参謀本部作戦班長。
  8月 陸軍中佐。


1932年 ( 昭和 7年 )
1月 ソ連大使館付武官。


1934年 ( 昭和 9年 )
3月 陸軍参謀本部付。
8月 関東軍参謀。


1935年 ( 昭和 10年 )
8月 陸軍大佐。関東軍第二課長。


1936年 ( 昭和 11年 )
3月 近衛野砲兵連隊長。


1937年 ( 昭和 12年 )
3月 陸軍参謀本部戦争指導課長。
4月 兼軍令部員。
12月 陸軍参謀本部作戦課長。


1938年 ( 昭和 13年 )
3月 浜松陸軍飛行学校教官。
7月 陸軍少将。浜松陸軍飛行学校付。
10月 ドイツ大使館付武官。


1939年 ( 昭和 14年 )
12月 陸軍参謀本部付。


1940年 ( 昭和 15年 )
3月 下志津陸軍飛行学校付。
9月 第7飛行団長。


1941年 ( 昭和 16年 )
7月 防衛総参謀長。
8月 陸軍中将。
12月 陸軍航空総監部総務部長。


1943年 ( 昭和 18年 )
5月 第 2航空師団長。第 2航空軍司令官。


1944年 ( 昭和 19年 )
8月 陸軍航空総監部次長。


1945年 ( 昭和 20年 )
4月 参謀次長。
8月 15日 終戦。
10月 予備役。
12月 東海復員監。


1948年 ( 昭和 23年 )
連合国軍最高司令官総司令部 ( GHQ ) 参謀 2部のチャールズ・ウィロビーに接近し軍事情報部歴史課で特務機関「河辺機関」を結成。辰巳栄一も関わる。


河辺機関への GHQからの援助は '52年で終了したため、要員たちは保安隊に潜り込まされた。


1960年 ( 昭和 35年 )
6月 25日 死去。


著書
・『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ 最後の参謀次長の回想録』(時事通信社、1962年)
のちに『河辺虎四郎回想録 市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』(毎日新聞社、1979年)に改題して再刊。


・河邊虎四郎文書研究会 編『承詔必謹 陸軍ハ飽マデ御聖断ニ従テ行動ス』(国書刊行会、2005年) ISBN 4-336-04713-8
防衛研究所所蔵の河辺日記と、上記回想録を対応する形で編纂された書籍。


脚注
1. 別冊宝島Real 『謀略の昭和裏面史 特務機関&右翼人脈と戦後の未解決事件!』 宝島社 p.170
2. 昭和12年11月20日付 海軍辞令公報 号外 第95号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072072600 で閲覧可能。
(wikiより)


 河辺虎四郎