酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6051 小山春山墓(谷中7-14-8・天王寺)

小山春山(おやま - しゅんざん)    
文政10年3月10日~明治24年1月1日(1827-1892)


漢学者・勤王家。


名、鼎吉・朝弘。字、毅卿・遠士。号、楊園・春山。


従五位小山馨三郎の父。下野真岡の裕福な家に生まれる。


子供のころより医師満川日湖に師事。のち儒教や歴史を会沢正志斎に師事。


家業の真岡木綿買継問屋が不振のため株を手放し、家督を弟に譲り、嘉永6年(1853)江戸に出て医術を幕医尾台良作に師事、漢学を儒者藤森天山に師事した。


のち真岡で医を開業。傍ら、家塾を開き、詩文を揮毫して家計の足しとした。


大橋訥菴らと親交し尊王攘夷に傾注した。


文久2年(1862)「坂下門外の変」の容疑で大橋訥菴らとともに捕縛され一時投獄された。


元冶元年(1864)子小山馨三郎が天狗党に入り、この義挙に関わったとして佃島に流される。


維新後、武蔵大宮県判検事。


明治2年(1869)浦和県権大参事となるがまもなく辞任し、明治5年(1872)栗山誠一郎・岩崎維慊らと司法省9等出仕。


明治7年(1874)記録寮9等出仕。


明治10年(1877)大蔵4等属。


累進して明治15年(1882)1等属。まもなく退官し、東京で家塾を開く。


下野の志士でありながら、日本画や書を残している。65歳没。


大正7年(1918)贈正五位。


著書・紀行文:「妙義山金洞」、「小暇村観瀑」、「偕楽園看梅」、「春山楼文選」、「留丹録」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/452.html

438 大橋訥庵墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/566.html

551 会沢正志斎墓(茨城県水戸市千波町2367・本法寺 )