酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6050 関藤藤蔭墓(台東区・谷中霊園)

関藤藤蔭 ( せきふじ - とういん )
文化 4年 ~ 明治 9年 12月 29日 ( 1807 - 1876 )


福山藩藩校誠之館教授・福山藩儒官。


名、成章。字、君達。通称、石川淵蔵・石川和介・石川文兵衛。号、藤蔭。


父、備中吉浜 ( 笠岡市吉浜 ) の社家兼医師・関藤政信 ( 四男 )。


幼くして両親を亡くし、備中吉井村の村医・石川順介の養子となる。


14歳で兄に師事、学問を習う。


敬業館、頼山陽の塾を経て、江戸で遊学。


天保 12年 ( 1841 ) 故郷の福山で開塾、天保 14年 ( 1843 ) 福山藩儒官となる。


水戸藩九代藩主・徳川斉昭 ( 1800 - 1860 ) の幽閉解除の運動、藩校誠之館の創立、ペリー来航時の浦賀・下田探索、2回にわたる蝦夷地探査行など老中・阿部正弘 ( 1819 - 1857 ) を補佐して活躍。


執政となり幕末藩政に尽くす。


また、明治元年 ( 1868 ) 長州軍による福山城囲戦で和議を成立させ城下を戦火から救った。


明治 2年 ( 1869 ) 版籍奉還後隠居。


明治 5年 ( 1872 ) 東京へ移住。


退隠後は、詩を作って暮らす。


福山藩主邸にて没する。70歳没。


著書:「蝦夷紀行」、「詩書筆記」、「観国録」。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/440.html
426 阿部正弘墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1024.html
951 頼 山陽墓(京都市東山区円山町626・長楽寺)