酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6048 三宅艮斎墓(谷中7-14-8・天王寺)

三宅艮斎 ( みやけ - ごんさい )
文化 14年 ~ 慶応 4年 7月 3日 ( 1817 - 1868 )


蘭方医。


肥前国島原 ( 佐賀県 ) 出身。


名、温。幼名、桃樹。通称、子厚。父、医師・三宅英庵。


8歳で熊本において就学。


天保元年 ( 1830 ) 長崎の楢林栄建に師事。


天保 9年 ( 1839 ) 江戸で開業。


弘化元年 ( 1844 ) 佐藤泰然の勧めで下総佐倉藩医となる。


安政 5年 ( 1858 ) 神田お玉ヶ池の種痘所頭取。


文久 3年 ( 1863 ) 同所が西洋医学所と改名になると外科手術および繃帯学 ( ほうたいがく ) を教授。


漢訳洋書「西医略論」、「内科新説」などを復刻出版した。


食道がんで没する。


なお、艮斎の長男・三宅秀 ( ひいず:1848 - 1938 ) は、文久 3年 ( 1863 ) の第二回遣欧使節に随行し、のちに東京大学で最初の医学博士・名誉教授となった人物。


戒名 : 「観龍院殿総誉子厚英信居士」。


関連情報
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-10537062596.html
158 お玉ヶ池種痘所跡(千代田区岩本町2-7-11加島ビル横)


http://ameblo.jp/honmokujack/entry-10555239527.html
200 佐藤泰然墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7014.html

6046 三宅 仁墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7015.html

6047 三宅 秀墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7017.html
6049 三宅鉱一墓(谷中7-14-8・天王寺)