酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6047 三宅 秀墓(谷中7-14-8・天王寺)

三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年12月12日) - 昭和13年(1938年)3月16日)は、日本の医師・洋学者・医学者・貴族院議員。


東京大学で最初の医学博士、のち名誉教授。幼名は復一(またいち)。


略歴
三宅家は、肥前にて代々医業を行ってきた家系であり、秀は、お玉ケ池種痘所(現東京大学医学部の起源)の創設に携わった医師三宅艮斎(みやけ ごんさい)の長男として江戸本所で生まれる。


・安政4年(1858年):川島元成のもとで蘭学を習い始める。
・文久3年(1863年):田辺太一の従者として遣欧使節に随行。その際に日本人ではじめて「カレーを見た」とされている(食べてはいない)。「至って汚きものなり」と評している。
・元治元年(1864年):欧州より帰国後、横浜のヘボン塾(明治学院高校の前身)で英学を学び、元アメリカ海軍医ウェッダー(Alexander M.Vedder)の助手となり医学を学ぶ。
・慶応3年(1867年):加賀藩壮猶館にて英書翻訳や英学教授に従事。
・明治3年(1870年):大学へ出仕、中助教、大助教、文部少教授を歴任。
・明治7年(1874年):東京医学校長心得となる。
・明治9年(1876年):渡米、万国医学会の副会長に選任。
・明治14年(1881年):東京大学医学部長、その後、医科大学教授、医科大学長を歴任。
・明治21年(1888年):東京大学初の医学博士に。
・明治24年(1891年)4月15日:貴族院勅選議員[1]
・明治36年(1903年):東京大学初の名誉教授となる。
・昭和13年(1938年):死去、享年91(満89歳)。


親族
・佐藤尚中 - 妻 藤の父。順天堂創始者。
・三宅鉱一 - 長男。東大医学部教授。
・三宅仁 - 孫。東大医学部教授。
・三浦謹之助 - 長女 教の夫。東大医学部教授。
・佐々木謙一郎 - 四女 菊尾の夫。専売局長官、南満州鉄道副総裁。


栄典
・1887年(明治20年)11月25日 - 勲四等旭日小綬章[2]
・1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[3]
・1938年(昭13年)2月11日 - 従三位[4]


著書
・三宅秀編訳『病体剖観示要』島村利助、丸屋善七共同刊行、1879年
・三宅秀『病理総論』三宅秀、1881年
・三宅秀『薬品取扱方心得』青柳正辰、1890年
・三宅秀『人名医語字典』英蘭堂、丸善、1894年
・三宅秀、浜武亀代子ほか『家事衛生』大日本女学会、1901年
・三宅秀『修身衛生講話』国定教科書共同販売所、1908年
・三宅秀『安眠法』、広文堂、1912年
・三宅秀、大沢謙二『日本衛生文庫:第1-6集』教育新潮研究会、1917-1918年


脚注
1. 『官報』第2335号、明治24年4月16日。
2. 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
3. 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
4. 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。


参考文献
・藤尾直史「三宅コレクションの世界」『東京大学総合研究博物館ニュース Ouroboros』2002年5月10日発行、7巻、1号、東京大学総合研究博物館webサイト、2008年10月30日閲覧
・三浦義彰「20世紀のわが同時代人(36)-三宅秀」『千葉医学雑誌』2000年、76巻、5号
・三浦義彰「医学者たちの一五〇年 名門医家四代の記」1996年 平凡社
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/161.html
157 お玉ヶ池種痘所跡(千代田区岩本町2-7-11加島ビルの横)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1755.html
1608 長與專齋墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2712.html
2456 小幡英之助墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3168.html
2951 三浦謹之助墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3838.html
3560 佐藤舜海(尚中)墓(千葉県佐倉市新町89・宗園寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7014.html

6046 三宅 仁墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7016.html
6048 三宅艮斎墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7017.html

6049 三宅鉱一墓(谷中7-14-8・天王寺)