酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6042 酒井忠康墓(谷中7-14-8・天王寺)

酒井忠康 ( さかい - ただやす )
大正 4年 ~ 昭和 42年 10月 23日 ( 1915 - 1967 )


旧松嶺藩主・酒井忠匡の孫・子爵。


父、子爵・酒井忠晃 ( 長男 )。旧羽後松山藩酒井家第 10代当主。掌典。


大正 12年 ( 1923 ) 襲爵。妻は、伯爵・酒井忠良の 4女・千鶴。52歳。


 掌典職(しょうてんしょく):皇室で宮中祭祀を担当する部門。


● 掌典職
掌典職(しょうてんしょく)は、日本の皇室において宮中祭祀を担当する部門である。宮中三殿においてその職務を行う。


戦前、国家機関であった当時は、宮内省の外局として国家機関の位置付けであった。


宮内省式部職掌典部
「宮内省官制」(明治40年皇室令第3号)制定当時は、「典式」として式部職の所掌とされ、式部職に掌典部が置かれ、掌典長、掌典次長、掌典、内掌典及び掌典補を置くことが定められた。


それぞれの職務権限を述べると、
・「掌典長」は親任官又は勅任官とされ、皇室祭祀に奉仕し、掌典部・掌典職の事務を掌理し、所部職員を監督する。
・「掌典次長」は勅任官とされ、掌典長をたすけ、掌典長に事故があるときはその職務を代理する。
・「掌典」は12人を定員とされ、奏任官(名誉官とすることもできた。)とし、祭事を分掌する。
・「内掌典」及び「掌典補」は判任官とし、「内掌典」のうち1人は奏任官とできた。ともに祭事に従事する。
 ・なお、「内掌典」は女性が就任する官職である。


宮内省掌典職
「掌典職官制」(昭和14年皇室令第4号)により、宮内省に掌典職が置かれ、掌典職には、掌典長、掌典次長、掌典、内掌典、掌典補、事務官及び属を置くことが定められた。
・掌典長、掌典次長、掌典、内掌典及び掌典補は、宮内省式部職掌典部時代と同様の職掌である。
・「事務官」は奏任官として掌典職の庶務を掌り、「属」は判任官として掌典職の庶務に従事していた。


内廷機関としての掌典職
1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行に伴う同省の廃止(宮内府への移行)により、掌典職も国家機関としては廃止された。


その後も皇室費の内廷費をもって人件費に充てられる職員が置かれる。現在は、天皇の私的使用人としての性格を有する『内廷の職員』とされ侍従のような宮内庁職員(国家公務員)ではない(皇室に直接雇用されている存在)。


責任者の掌典長をはじめ掌典次長、掌典、内掌典、掌典補等、宮内省掌典職時代と同職名の職員が置かれている。現在の掌典長は楠本祐一。


1975年(昭和50年)以後伊勢の神宮や勅祭社における祭典では、天皇の使者である「勅使」をつとめる。


関連項目
・宮内庁侍従職
・侍従
・女官
・高谷朝子(元内掌典)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5401.html

4910 酒井忠匡墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7012.html
6044 酒井忠晄墓(谷中7-14-8・天王寺)