酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6033 藤野海南墓(谷中7-14-8・天王寺)

藤野海南 ( ふじの - かいなん )
文政 9年 ~ 明治 21年 3月 18日 ( 1826 - 1888 )


明治前期の歴史家。


名、正啓。字、伯廸。松山藩員。


嘉永元年 ( 1848 ) 昌平黌で史学を学んだ。


同学にて重野成斎・三浦安針・巌谷修らと親交を結ぶ。


傍ら、蘭学を河野通猶、暦法を小松無極に、航海術を勝海舟に学ぶ。


嘉永 6年 ( 1853 ) 藩校「明教館」寮長。


万延元年 ( 1860 ) 再度江戸に出て昌平校舎長兼詩文掛となる。


戊辰の役の際松山藩の長州征伐や戦後処理に尽力した。


明治元年 ( 1868 ) 藩が朝敵として追討された際、藩論を統一し恭順させ、謝罪書を岩倉卿に哀をこうて事を収めた。


長州再征の役の際は、一番大隊を率いて出陣。


明治 2年 ( 1869 ) 昌平黌教授となり、藩政改革の際に帰藩し、諸官を歴任、権大参事となった。


明治 5年 ( 1872 ) には藤野海南の主導で「旧雨社」が創設され、その社盟には重野成斎、岡鹿門、鷲津毅堂、阪谷朗虚、南摩羽峰、木原老谷、那珂梧楼、小山春山、川田甕江・中村敬宇、秋月楽山、村山拙軒、萩原西疇、依田学海、信夫恕軒、亀谷省軒、島田篁村、股野藍田、日下勺水、小野湖山、岡松甕谷、小永井小舟、森春橙濤らが参加した。


また同年東京府誌を編修。


その後明治 9年 ( 1876 ) 修史館編修者になり「先朝紀略」等を編纂した。


修史局では、重野安繹と親交を持つ。63歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/630.html

596 重野安繹墓(台東区・谷中霊園)