酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6030 田代義徳墓(谷中7-14-8・天王寺)

田代義徳 (たしろ - ぎとく / よしのり )
元治元年 7月 26日 ~ 昭和 13年 12月 1日 ( 1864 - 1938 )


日本最初の整形外科医・東京帝国大学名誉教授・医学博士。


父、田部井世里正 ( 三男 )。養父、田代基徳。


旧名、田部井又助。足利市田中町出身。


八幡町禅定院の立教小学校で漢学などを学ぶ。


卒業し 15歳で同校教師。


明治 11年 ( 1878 ) 東京大学医学部予備門に入る。


明治 12年 ( 1879 ) 田代基徳の娘・春子の婿養子となる。


明治 21年 ( 1888 ) 東京大学医学部卒業し、同医学部外科教室に入り、 佐藤三吉・スクリッパの下で研修。


傍ら私立済生学舎にて外科学を講じた。


明治 24年 ( 1891 ) 東京田代病院を開設。


明治 33年 ( 1900 - 1904 ) 文部省留学生としてドイツに留学し整形外科を学ぶ。


帰国し大学助教授。


明治 39年 ( 1906 ) 東京大学病院に整形外科を開設し、日本初の整形外科初代教授に昇任。


明治 41年 ( 1908 ) 泉崎慈善病院院長。


大正 10年 ( 1921 ) 児童保護肢体不自由児施設「柏学園」を柏倉松蔵に創立させ、この分野の先駆となった。


大正 13年 ( 1924 ) 退職し帝国大学名誉教授となる。


大正 14年 ( 1925 ) 下谷区会議員、後東京市会議員。


大正 15年 ( 1926 ) 日本整形外科学会を創立し初代会長。


日本整形外科の開祖と呼ばれる。従三位勲三等。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6994.html

6029 田代基徳墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6996.html
6031 田代信徳墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6997.html
6032 田代秀徳墓(谷中7-14-8・天王寺)