酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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6027 室町公康墓(谷中7-14-8・天王寺)

室町公康 ( むろまち - きんやす )
嘉永 6年 ~ 明治 23年 4月 4日 ( 1853 - 1890 )


伯爵・公家・藤原北家閑院流西園寺家一門。


家業は和琴、筝。父、四辻公績。養父 ( 兄でもある )、四辻公賀 ( 1840 - 1880) 。子に貴族院議員の室町公大 ( きんもと )。


公賀の後継・室町公康によって家名を四辻から室町に改める。


明治 18年 ( 1885 ) 華族局御用掛。


● 室町家
室町家(むろまちけ)は、羽林家の家格を有する公家。別名、四辻家、花亭家。
藤原北家閑院流。西園寺家の一門。家業は和琴、箏。江戸時代の家禄は200石。伯爵。西園寺家・洞院家・清水谷家とともに西園寺流四家のひとつ。


立家から江戸時代までの動向
鎌倉時代西園寺公経の四男、実藤によって創立された。四辻とも号する。また今出川家の邸宅が菊亭と呼ばれたことと同様に、室町家の邸宅は花亭と呼ばれた。


室町季顕以降、「室町殿」を名乗った足利将軍家を憚り四辻を称したが、明治期に家名を室町に戻した。なお足利将軍家には室町家本邸であった「花亭」も譲っている。


江戸時代初頭、四辻公遠の娘・与津子は後水尾天皇の典侍となり、天皇の寵愛を受けて皇子(夭折)と皇女(後の文智女王)を儲けたが、これが徳川和子の入内直前の出来事であったため、江戸幕府の怒りを買い、一時宮中から追放される羽目にあった。また、これに先立って与津子の姉(死後「桂岩院」と称される)は上杉景勝に側室として仕え、嗣子定勝を出産したが、百日余り後に死去した。


幕末、明治から現在までの動向
幕末、明治維新期の公賀は、国事に奔走し維新後は、越後府知事、三等陸軍少将、宮内権大丞、雅楽助を務めた。公康が家名を四辻から室町に改める。明治17年公康に対して、伯爵位を授けられた。公大(きんもと)は、貴族院議員を務めた。公藤(きんふじ)は昭和34年掌典長に就任し、宮中祭祀に尽力した。


詳しい事は『室町家ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E7%94%BA%E5%AE%B6
(wikiより)