酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6020 京極高厚墓(谷中7-14-8・天王寺)

京極 高厚(きょうごく たかあつ)は、但馬豊岡藩の第9代(最後)の藩主。豊岡藩京極家11代。


文政12年(1829年)5月29日、第8代藩主京極高行の長男として江戸麹町邸で生まれる。


弘化4年(1847年)、父の死去により家督を継ぎ、同時に従五位下、飛騨守に叙任する。


嘉永2年(1849年)、駿府加番となり、嘉永4年(1851年)に大坂加番になった。


文久2年(1862年)、幕末の海防政策として、津居山港に御台場を築き、11インチ砲や10貫砲を備えた。文久3年(1863年)の生野の変では幕府方として活躍し、平野国臣や横田友次郎らを逮捕するという功績を挙げている。


明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還により豊岡藩知事となる。


明治3年(1870年)、藩校の稽古堂を女学校に改めて、藩士子女の教育化に努めた。


明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県により藩知事を廃されて東京へ移った。


明治17年(1884年)、華族令によって子爵となる。


明治18年(1885年)に正五位に叙され、その後も従三位、勲四等に叙された。


明治30年(1897年)7月、貴族院子爵議員に選出され、明治37年(1904年)7月まで在任した。


明治38年(1905年)12月27日、東京本所邸にて死去した。享年77。


俳人としても優れていたと言われている。


参考文献
・千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年
・衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/394.html

379 平野国臣墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6982.html

6017 京極高規墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6983.html

6018 京極高甫墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6984.html

6019 京極高本墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6986.html
6021 京極高以墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6987.html

6022 京極高正墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7005.html
6036 京極高福墓(谷中7-14-8・天王寺)


 京極高厚