酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

6010 小出英尚墓(谷中7-14-8・天王寺)

小出 英尚(こいで ふさなお)は、丹波園部藩の第10代(最後)の藩主。吉親系小出家10代。


生涯
第9代藩主・小出英教の長男。正室は坊城俊政の娘・録子。継室は浅倉七五郎の娘・菊江、庭田重胤の娘・胤子。子は小出英延(長男)、小出英経(次男)、小出英鋪(三男)、娘(東胤禄正室)、娘(松平義為(弟松平義生の長男)正室)、娘(大谷尊由室)、娘(黒田長敬正室)。官位は従五位下、伊勢守。


嘉永2年(1849年)9月3日生まれ。安政3年(1856年)3月19日、父英発の死去により跡を継いだ。文久3年(1863年)2月15日、従五位下伊勢守に叙任する。慶応3年(1868年)11月、朝廷の命令に応じて上洛し、早くから新政府側を支持する姿勢を示した。慶応4年1月、藩主英尚は上洛中だったものの、園部の重臣たちは家中の意見をまとめ、西園寺公望が指揮する山陰道鎮撫軍に従った。


新政府は万が一京が戦火に飲み込まれる事態となった場合は明治天皇を英尚の居城園部城に避難させるという策を立てた。そのため、慶応4年1月に英尚は新政府から園部城改築の許可を得る。同年4月に園部城改築を終える。結局、京は戦火から免れ、明治天皇も京にとどまった。


明治2年(1869年)6月20日、版籍奉還により藩知事となる。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により免官となる。同年9月16日、東京に移住する。明治16年(1883年)11月、隠居し、息子英延に家督を譲った。なお、明治17年(1884年)に息子英延は子爵となった。明治38年(1905年)9月27日、57歳で死去した。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6972.html

6011 小出英延墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6973.html
6012 小出英昌墓(谷中7-14-8・天王寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6974.html
6013  小出英忠墓(谷中7-14-8・天王寺)


 小出英尚